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「天才と擬態」2020年10月20日の日記

存外いい感じで日記を書けている気がする。
ぽつぽつと、「書きたいこと」が増えていくのは生み出している感じがしてとても嬉しい。

丁寧な文章を書く人は凄いと思う。丁寧というか、緻密というか。きちんと練り上げられていく文章はまさに「美」だ。
僕の方はてんでだめだ。思いついたことを垂れ流す癖があるから、脳みそを垂れ流しっぱなしだ。
集中して、きちんと構築して構築して積み上げていくべきだと思う。
構成がしっかりしていない舞台は面白くないし、設計図をきちんと練らなければ家は崩れる。何事も土台が大事なのだ。
僕の土台はなんだろう。
自分のことがあまりよくわからないので、何が強みで、何が基礎となっているのか謎だ。

「天才になりたい」という話をした。
その友人は僕の大学時代の数少ない友人とも呼べる人物で、終電失くすまで飲み明かしたり、妙にノスタルジックな波長がちょうど合うので1時間かけて日の出を見ながら家に帰ったりもした。
そんな彼は音楽の神に愛されていると思う。僕から見れば彼は天才だ。
酒が好きで、留年してるし、どうしようもないやつだけど、自分をしっかり持っていて道があるから、僕はあいつを尊敬している。
アップルミュージックに登録されたあいつの作った曲を聴いて、素直に凄いと思った。
死んでも本人には言ってやらないけど。
そんな僕たちは「突出した何か」になれそうでなれない。新しいものを生みたいと思うのだが、生まれる時代が遅すぎた。
数年前から、彼とはこんな話ばかりしている。

聴覚過敏のきらいがあるのであまり大きな音を好まず、電話も得意ではないのだが今日は色々なところに電話を掛けた。これは、よく頑張ったと言えるだろう。早起きだったせいもあり、どうにも思考がまとまらない。

僕はやはり変だなあ、と達観して分析して思うところがある。
精神が煮詰まったり、苦しくなったりしたら大抵の人はきちんと「苦しい」のだろうけれど、僕はどうやらちょっと壊れているみたいで、「苦しいことで経験値を貯められる」と考える。
苦しくてもそれはその時にしか味わえない感情だし、起伏することでちゃんと人間らしいことできているなあ、と「擬態」出来る気がするのだ。
人間やめたいなあなんて口に出して言うくせに、人に擬態するという随分おかしなことになってしまっているんだけれども。

そんなことばかりをぐるぐると考えている。
僕はどうなりたいのだろう。結局、一生悩んだままなのだろうなと思っていたら午前が終わった。


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鬼堂廻
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