2023年4月10日の日記「羨ましい」
大人になったと形容できるほど中身は正直育っていない。なのに身体ばかりが衰えていく。
仲の良かった友人は皆結婚していき、しまいには子供も生まれ、安定した家庭を持っている。その、ごく「一般的な」幸せを望んではいないが、羨ましいとは少し思う。反出生の気持ちがなくて、恋愛がしっかりできる人間であれば生きるのが、息をするのが、もう少し楽だったろうなと思う。
先日、祖父が亡くなった。仕事の合間を縫ってどうにか休みをもぎ取り、葬式に出た。闘病生活が長かったものだから、お疲れ様、という気持ちの方が大きかった。家族葬の予定だったが、祖父の人柄もあってかかなり友人たちが集まってくれたので少し大きなものだった。
送ってくれる人たちがいるというのは、羨ましいものだなあと思った。
自分が死んだときのことを想像して、年老いてから独り身で死んだとしたら発見もされないと思い、早めに死んでしまおうと思った。
新年度が始まって、元気の良い溌溂とした顔の若い子たちを見ると羨ましくなる。若いってことはなんでもできるからだ。年取ってからも遅くないという人はいるが、遅いものは遅い。今からキラキラしたアイドルになりたいといっても難しいだろう?簡単にいうもんじゃない。
青春が眩しい作品を摂取しているせいか、少し卑屈で嫌な大人の部分が色濃く出ている。光が強いと影は濃くなるからだ。
年をとっても身の丈に合ったチャレンジは出来るかもしれないが、若い頃のようながむしゃらなチャレンジはもうできない。
この線引を分かっていないやつは、若作りでもなんでもない、ただの愚か者だと思う。
憂鬱の根源が何かと問われても分からない。色々な積み重ねがのしかかってきて大きな憂鬱となっている。焦燥感は少しだけ心地いい。
何処かへ逃げたい。
最近は考えることから逃げてしまっている気する。思考停止していれば楽なのに慣れてしまって、自分を追い詰められないでいる。
小説を書いて、自己満足して、おわり。
もっと向上心があったはずじゃないか?僕は。
鼓舞するような自分ではないことは確かだが、やらない時が済まない。
そしてやはり行きつくところは、生き急いでいる。