薔薇と紅茶と本
朝は好きじゃない。
いや、正確に言えば好きな時と好きじゃない時があって、それが突然、天地がさかさまになるように入れ替わる。僕のこういう特質は何も朝に限ったことではなく、様々なものに当てはめられる。
今日の朝は好きじゃなかった。
日差しは柔らかくて、いつもよりもすっきりとした目覚めだというのに、どうしてだか、優しい色の日差しが妙に嘲笑っている気がする。纏まらない思考のまま気絶するかのように眠りについてしまったせいか、はたまた突如として思い出してしまった誰かの泣き顔のせいかはわからない。
毎日同じような朝が来て、違うのは天気だけだというのに、全部違う日々だ。人間は変わらないのに細胞がすべて入れ替わっていくのと同じだ。
そんなことをぼんやり考えて、何やら気分が優れない。
自分の機嫌を取るのは自分しかいない。もう大人になって、家を出てしまった僕には、本を買って機嫌を取ってくれる両親も、温かいココアを淹れて部屋へもってきてくれるひとも、もういない。
だから紅茶を淹れて、静かに薔薇の咲く場所のことでも考えようと思っていたのに、妙な思考をしたせいでそんな時間は無くなってしまった。
こころを慰めてくれるものなんだろうと、秋の日差しの中考えていた。
僕の好きな曲で、「My Favorite Things」というものがある。サウンドオブミュージックに出てくる1曲で、耳にしたことがある人は多いだろう。
この曲は、雷が鳴る日、マリアが子供たちに歌って聞かせる曲だ。好きなものを思い出せば、厭なことは吹き飛んでいくという曲でもある。
ふと、そのことを思い出したので僕は自分の好きなものをぼんやりと頭の中に浮かべることにした。
こころが辛い時、僕はまず薔薇の花が欲しくなる。そういう時の薔薇は、紅くなくてはいけない。白でもピンクでも駄目だ。紅でなければいけない。飛行機乗りの作家が書いた優しい物語のせいなのかはわからない。
僕にとって薔薇は、紅くなくてはいけなかった。
その紅い薔薇は、確かに、非常に高慢でわがままな表情を見せるが妬心を持ったうら若き乙女のように僕には映っている。そういう、薔薇が欲しくなる。
次に頭に浮かんできたのは紅茶だった。
昔は紅茶など好きではなかったというのに、いつの間にか心を許せる唯一の友のように傍らに置きたくなった。もしかしたら僕は、紅茶がもたらす時間が好きなのかもしれないと思った。大切に集めた、見るだけでこころが躍るような茶器の中にたっぷりと注がれた紅茶がゆっくりと湯気を立てるとき、僕は妙に満たされた気分になって、濃厚な静寂を楽しむことが出来る。
味や種類に固執するわけではないので、きっと僕は紅茶を飲む時間がとても好きなのだろう。
そうして最後は、やはり読書だった。半身にもなっているような自宅の書庫に並ぶ本たちが全身全霊で僕を作り上げているような感覚。ページをめくるごとに押し寄せる波のような感情と静けさ。そう、僕は本の中なら何にでもなれる。想像力が豊かなのかもしれない。
読書は最も身近な経験である、と言ったのは誰だっただろうか。文字の海に飛び込めば、皮膚から栄養を吸収していくような感覚になるのだった。
つまり僕は、飢えているのだろう。
食事よりもずっと大切な、精神の食事が足りていないのだと思う。感性に訴えかけるような、打ち震えるような、心が充満していくような。
木の葉の隙間から差し込む光の中、薔薇の香りのするその場所で僕は紅茶を飲みながら本を開きたいのだ。
こうして僕は、小さな庭付きの家が欲しくなるのだった。