自宅という匣の中でいくつもの世界を観る。
職場が休業になった。
あれだけ休業にはならないだろうとタカを括っていたのに、だ。ブラック企業なのではないかと疑っていたが、どうやらホワイトな方に分類される企業だったようだ。ありがたいことに。
さて、そんなこんなで大学生の夏休み以来の長い休みを貰った。違うことは、大学生の頃とは違い、外出ができないというところだ。家の中で出来ることは限られている。同じ境遇の人からは、もう退屈で仕方がないという声も聞く。
しかし、自分自身は一切そんな気持ちにはならない。
と、いうのも自分は本を読める部類の人間だからである。読書というものは、昔から親しまれている立派な娯楽だ。近年ではSNSやゲームなどによってその立場を危ういものにされているが、僕は読書こそ至上の娯楽だと信じている。
そんな考えの人間だからか、蔵書は日に日に増え、1年間で200冊は迎えてしまった。1年前引っ越して間もない頃は800冊だかそのくらいだったのが、もう1000冊を超えてしまいそうだ。いよいよ木造のアパートでは床が抜けそうである。
本を売れない、捨てられないたちだ。何度か口にしたことがあるフレーズなのだが、本は自分自身の「外付け脳味噌」であり、僕を形作っているものの一部だと思っているからだ。本を売ることは、僕にとって臓器を売るのに近い。それくらい、この本たちには世話になっているし愛着も湧いている。
社会人になってからは全くと言っていいほどまとまった時間で本を読めなくなった。学生時代は授業をサボって丸一日読書に時間を費やしたりもしたし、授業の90分間丸ごと本を読んでいたりもした。そのくらいの本の虫だったというのに、今では寝る前の30分、ないしは10分とかのレベルである。これでは、心が満たされるわけがない。
自分の本好きは、幼少期から由来する。偶々本屋で見つけた児童書の挿絵が好みだったのがきっかけだ。子供心にワクワクするような、綺麗でわかりやすい絵柄だったのだ。
それから、親の教育方針もあるのだろうが、「本は親が買ってくれる」というものが大きかった。小学生の頃もお小遣いはあったが、年齢×100円という慎ましいが理にかなっている金額で、今ほどの必要出費があるわけでもなかったが一度にその金額を失うのは痛かった。(欲しい本は大抵700円や800円ほどした。)
だから、親が「本なら買ってあげる」というのが非常に有り難かったのである。それだけではなく、本を読んでいると親が喜ぶという理由もあった。児童書でもなんでも、漫画よりも活字を読んでいる姿勢を大層褒められたのだ。
そこから子供ながらに自尊心を高めていき、小学2年で江戸川乱歩の少年探偵団を読破していた。読書のランキングが学年にあったのだがそこで上位を取るのが楽しみだった。図書室には毎休みごとに通っていたし、大抵の本がどこにあるのかも網羅するほどだった。
だから現状も、なるべくしてなっているのだと、思う。
小説家の真似をして今もこうして駄文を書き連ねているわけだし、良いのか悪いのかはさておき、良い趣味であると自負している。そんなわけで、この自粛期間中も無理なく充実しているともいえよう。
何かの本に書いてあった、「小説は世界であり、一番身近な経験である」という言葉が非常に気に入っている。小説の中でなら僕たちは探偵にも怪盗にも、大学教授にもなれる。いくらでも擬似的に体験ができるのだ。
というのが、僕の読書へのモチベーションである。
この自粛期間の暇な時に、読んだ本の紹介もできたら嬉しいと思っている。映画の備忘録と並行していきたい。
ヘッダー:マネークリッパー吉沢 @moneyclipper