房総ぐるり
2024年1月のことである。
木更津に向かう列車は田畑の中を抜けていた。冬の寂しい土色の田んぼのずぅっと向こうに、観覧車が見えた。ぼんやり、どこの観覧車なのだろうと思ったが特に調べることもなくいつの間にか見えなくなっていた。
小旅行へ出ようと友人と思い立ち、宿を見繕ってからは1ヶ月が経った。
クリスマスを待ち侘びる子供のように日が去るのを待ち遠しくしていたが、いざその時を迎えて仕舞えば、もうなのか、と思う。
列車に飛び乗る。待ち合わせは車両の座席。
先に乗っていた友人と無事合流し、列車は僕らを乗せて走り出す。
窓の向こうに広がる海は、寒い冬の色をしていた。それでも海を見たいと思った僕たちは房総をぐるりと一周することにしたのである。
他愛のない話をした。内容は覚えていないが、その時がひどく楽しくて、その一瞬の心のかたちと、車窓から見える景色、そして電車の走行音を僕はよく覚えている。
途中下車して、「浜金谷駅」で降りた。この駅に決めた理由はない。とにかく、なんだかここがいいという気になったのは覚えている。
これぞ港町。少々高くなった駅から見下ろせば、街並みと海が待っている。
僕たちはこういう景色が視たかったのだ。思わず、友人と顔を見合わせて笑ってしまった。
もうすでに僕たちの満足度は、高い。
おいしいと人気の定食屋の順番待ちをしている間、その横にあった乾物屋を眺めていた。こんな光景、なかなか見られない。
僕らも呼ばれ、定食屋の中へ入る。名物である刺身定食を選んだ。
魚はやはり港町で食べるに限る。
まだ時間があったので少々時間を潰すのも兼ねて散歩をした。
海の近くに来たのであれば、やはり海を見るべきである。
海岸線をなぞりながら、また他愛のない話をした。
ロープウェーがやっていたら乗ってみてもいいかもしれないね、と言っていたがあいにく休止中であった。
こういう駅は、ホームもいい。ここで老年の男性に話しかけられ、途中までおしゃべりをしながら電車に揺られた。
今日の宿は大原駅にある旅館だ。やはり旅館は風情が大事なので、旅館自体の雰囲気も大切にした。
駅から多少歩く場所ではあったが、それでもその宿がいいと思えるほどだ。
ふと踏切を通る。終電の早いこの地域は、もう電車は通らず、ただ沈黙をしていた。
これこれ~!と声をあげてしまいそうなほどの玄関。味がある。
おかみさん達がバタバタと厨房で何かしているような音がする。
温かみのある出迎えに、僕らの頬は緩みっぱなしである。
客室はさっぱりしており、トイレもお風呂も共有であった。
人によっては嫌かもしれないが、僕たちは気にならない。
陶器製の灰皿がなんともいい味を出している喫煙所。
綺麗な灰皿に灰を落とすのは些か気が引けたが、贅沢ものになったような気がした。
勿論料理もおいしかった。海の幸をふんだんに使い、温かい家庭料理で僕らの心と腹を満たしてくれた。
満腹になり、風呂へ入ってから、僕らは就寝した。
翌朝。
快晴とまではいかないがすがすがしい空気が漂っていた。
季節は1月である。
朝市をやっているというのでそちらへと向かったが朝食も豪華だったこともあり、なかなか買い物は出来なかった。
しかし朝市特有のあの空気を堪能できたからまあよしとしようか。
漁港をふらふらと散歩し、マップを開く。
僕は気になる神社があるとすぐ行きたくなってしまうのだが、今回もそれだった。
友達に頼み込み、そこを目指す。
その間にも良い路や街並みがあったのだが、ここには載せず僕の心の中だけにとどめておこう。
神社は少し高台に位置していた。
街を見下ろすようにして建ち、そこから見下ろす景色も良いものだった。
絶景、というわけではない。ただただそこにあるノスタルジーを勝手に享受したのである。
房総ぐるり旅、そこまで大きなメインディッシュを用意していかなかったのだが、それでも十分に幸せな旅立った。
ささくれだった心が凪いで行く。
逃避というのは僕の心にとって、非常に大切なものなのである。
同行してくれた友人にも感謝。