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アベノミクスで景気回復って言うけど、GDPって本当に実態に合った経済指標か?

このノートは、2018年9月に刊行された『データサイエンス「超」入門 嘘をウソと見抜けなければ、データを扱うのは難しい』の第3章「結局、アベノミクスで景気は良くなったのか」を【無償】で全文公開しています。

2018年12月13日、内閣府は、2012年12月に始まった景気回復が2017年9月時点で4年10カ月に及び、高度成長期の「いざなぎ景気」を超える戦後2番目の長さになったと認定しました。

その報道に違和感を抱いた方は、ぜひご一読頂ければ幸いです。


第3章の要点3つ

・アベノミクスが始まって経済の停滞期を脱出し、再び経済成長を始めたことは間違いない。
・ただし、GDPの内訳の1つである「家計消費」はマイナス成長。それが一般人が経済成長を感じない理由かもしれない。
・そもそも、GDP自体が21世紀になって"使えない指標"になっている可能性がある。GDPには欠点が多い。デメリットを理解した使用が求められる。


本文

景気回復もデフレ脱却見えず
 … だが、堅調な企業業績とは裏腹に、個人消費は伸び悩みが続く。大手企業では徐々に賃金が上がっているものの、全企業の9割を占める中小企業や働く人の4割を占める非正規雇用への波及が鈍いためだ。
(毎日新聞 2017年12月26日より抜粋)
長期政権にふさわしい構造改革を
 … 経済の先行きにやや明るさが見える今こそ、持続的な成長と財政健全化に道筋をつける改革に長期的な視点で取り組むべきだ。……首相は就任以来、経済政策「アベノミクス」で金融緩和、財政出動、成長戦略的な成長と財政健全化に道筋をつける改革に長期的な視点で取り組むべきだ。……首相は就任来、経済政策「アベノミクス」で金融緩和、財政出動、成長戦略という3本の矢を打ち出した。確かに景気回復は戦後2番目の長さになった。消費者物価上昇率は2%の目標に達していないものの、政府の「物価が持続的に下落するデフレではない状況を作り出した」との説明には一理ある。
(日本経済新聞 2017年12月25日より抜粋)


アベノミクスって本当に凄いんですか?

デフレと景気低迷に苦しんだ2012年。その年の12月に発足した第二次安倍内閣が掲げた一連の経済政策は「アベノミクス」と呼ばれています。詳しい内容はわからなくても、一度ぐらいはアベノミクスという言葉を聞く機会があったはずです。

アベノミクスが始まって、日本の経済はどのように変わったのでしょうか。どれくらい景気は良くなったのでしょうか。経済に関連する事柄を数値化した「経済指標」と呼ばれる統計データを調べてみた結果、就任直後と現在を比較すると、軒並み改善していることがわかりました。

2012年と今を比べて、どちらの方が景気が良いかと街角でアンケートを行うと、大半の人は「今でしょ! 」と答えると私は思います。

では、誰もが手放しでアベノミクスを評価しているかと言えば、決してそうではありません。色んな新聞に目を通すと、大きく2つの傾向に分かれています。

1つは、まだ一部の人しか景気は良くなっていないし、アベノミクスの副作用が出てきているから何とかしなければならないという評価です。もう1 つは、目先の経済は良くなっているのだから、今こそ根本治療・構造改革が必要だという評価です。

つまり「景気が良くなった」と言っても、それは一部の人たちだけという見方と、景気が良い今のうちに痛みを伴う改革を実行しようという見方に分かれるのです。どうやら「景気が良くなった」という言葉の解釈が、人によって異なるようです。

果たして、どちらの見方が正しいのでしょうか?  そして、なぜ「景気が良くなった」という言葉の解釈が人によって異なるのでしょうか?


そもそも「景気が良い」の定義とは……

中世において、和歌を批評する際に「景気」という言葉が用いられたのが語源だと言われています。言葉で表現された枠の外に込められた景色や雰囲気などを指していたと言われています。

それがやがて経済用語として使われるようになると、売買や取引など経済活動全般の動向や、人々から見た経済の雰囲気を指すようになりました。みなさん、私の地元大阪に行ってコテコテの大阪人に会う機会があれば、ぜひ「儲かりまっか? 」と聞いてみて下さい。「ぼちぼちや」という返事なら景気が良くて、「あかん、さっぱりや」だと景気が悪いという意味です。

ただし政府が経済を運営するにあたっては「ぼちぼち」「さっぱり」のような雰囲気で判断する訳にもいかないので、数値に落とし込む必要があります。そのための指標としてよく使われるのは、GDPと、GDPの伸び(経済成長率)です。

GDPとは、国内で生み出されたモノやサービスの付加価値の総額を意味しています。国内で使われたお金の総額とも言えます。計算方法は国連が各国に対して通知しているため、国によって数字の意味が異なることもほとんどありません。したがって、国の経済規模を測るために世界中で使われている指標と言っていいでしょう。GDPを見れば、その国の経済規模が分かるのです。

そして、経済が成長しているか否かは、そのGDPが増えているか否かで決まります。1年前と比べてGDPが伸びた分だけ、経済が成長した証なのです。一般的には、成長度合いは今年のGDPを去年のGDPで割った割合で評価され、その数字は経済成長率と表現されています。経済成長率がプラスであれば「景気が良い」と言えるかもしれません。


名目GDPと実質GDPの違い

ちなみに、GDPには名目GDPと実質GDPがあります。

両者の違いは、簡単に言えば、物価変動の影響があるか否かを指しています。ものすごくザックリ説明しましょう。たとえば、あるカフェを想像して下さい。1 杯100円のコーヒーが100杯売れました。「材料費も上がってるし、値上げせな商売にならへんわ」と判断した経営者が、次の日に110円に値上げした結果、それでも同じく100杯売れました。

名目GDP的に考えると、100円×100個で10000円、次の110円×100 個で11000円になり、1000円分の拡大が起きています。一方で実質GDP的に考えると、10円分は物価上昇分なので計算せず、両方とも100円×100個で10000円になります。

つまり名目GDPは物価変動が含まれる分、経済の成長度合いが把握し辛いと言われています。そのため一般的には、国の経済の成長を測るには実質GDPが重視されます。経済成長率を求める場合、実質GDPを用いる場合が多いでしょう。

ちなみに日本の実質GDPは、1994年から2017年にかけて以下のように推移しています。

約450兆円台から緩やかに階段を登るようにGDPが高まっていますが、落とし穴のように大きく下降した年があります。2009年、リーマンショックがあった年です。

さらに、実質経済成長率で見てみましょう。以下のように推移しています。

2012年~2017年にかけてプラス成長が続いています。たった1%程度かもしれませんが成長しているのは間違いありません。つまりGDPという指標を用いて景気の良し悪しを判断するのであれば、今は景気が良いと言えるでしょう。

では、なぜ経済成長を実感できていない一部の人たちが居るのでしょうか。全体で見るとOKだけど、1つ1つを細かく見るとNGというのは、データ分析として考えれば、どこかで矛盾が起きているのに、全体をOKだと錯覚して
いると考えられます。

そこで、GDPという指標を様々な角度から細かく考えてみましょう。


なぜ経済成長を実感できないのか?

GDPは成長し続けていますが、以前の成長に比べると、明らかに鈍化したと言われています。経済成長を実感できるか否かは、結局のところ過去と比較しなければ分かりません。成長が鈍化し過ぎて、もはや成長を実感できないという可能性があるかもしれません。

そこで、1956年以降の実質GDPで見た経済成長率を調べてみました。以下のように推移しています。

図3-4からも分かる通り、1955年から1973年まで続いた高度経済成長、そして1974年から1991年まで続いた安定経済成長、1992年から現在まで続く低経済成長、大きくこの3つの時期に分けて考えることができます。

10代・20代の皆さんに「景気は良い? 」と聞くのと、キャリア30年のタクシー運転手に「景気は良い? 」と聞くのとでは、参照するべき人生の長さが違う分、感じ方もそれぞれ違うでしょう。何と比較して景気が良い悪いと言っているのか、実に曖昧なのです。

バブルの頃は10万円払って貰ってお釣りは全部くれたけど今はねぇ……。なんて昔話をされても、個人の武勇伝としては面白いですが、景気を推し量る上では、何ら参考にならない体験談だと言えます。

では、景気が良くなったと実感できなくなった人たちすべてを、単なる「勘違い」で済ませていいのでしょうか。そうとは言えないデータがあります。

GDPは内訳として家計消費、投資、政府支出、輸出入の4種類の項目が示されており、それらを足しあげれば約500兆円になります。家計による消費財への支払いを意味する家計消費(正確には「民間最終消費支出」)は、GDPの約57%を占めており、経済成長の鍵は一般家計の消費が握っているとさえ言われています。

この「家計消費」の動きがここ数年変なのです。そもそもGDP全体でみた成長率と、家計消費単体で見た成長率は、図3-5の通り極めて高い相関を示してきました。そもそもGDPの約6割を占めているので連動するのは当然かもしれません。

しかしその法則から外れて、家計消費単体で見れば成長率はマイナスなのに、GDP全体で見ればプラスになっている年があります。それが2014 年、2015年です。

家計消費はさらに細かく、「家計最終支出」「除く持ち家の帰属家賃」の2段階に分解して見ることができます。詳しい話は経済書を読んで頂くとして、簡単に言えばNPOなどの組織形態を除いて本当に一般家計のみを扱ったものが「家計最終支出」、持ち家であったとしても家賃を払っている体で家計を計算していたのを辞めたのが「除く持ち家の帰属家賃」にあたります。ちなみに「家計最終支出」「除く持ち家の帰属家賃」で見ると、2016年も成長率はマイナスでした。

つまり家計という観点で見れば2014年~2016年は成長しておらず景気は悪いのに、その他の企業の投資や政府や輸出入なども含めたGDP全体で見れば成長しているから景気は良いという矛盾するような状態が続いていたのです。ちなみにこの3年間、G D P 全体を押し上げていたのは企業の設備投資や政府支出でした。

景気の良し悪しを自身の家計から推し量るなら、経済成長を実感できていない一部の人たちがいるのも当然です。家計と全体でズレが生じているのですから。

ちなみに家計の景気を調べるうえで参考になるデータとして、同じく内閣府が発表している景気ウォッチャー調査が挙げられます。2000年から毎月発表している景気に関する指標です。小売店やタクシー運転手、レジャー業界など景気に敏感な職業の人々に対して、家計や企業の景気動向をインタビューして、その景況感を数値化したものです。GDPが示す景況感とは違う「街角景気」とも評されています。

景気ウォッチャー調査は、3カ月前と比較した景気の現状を意味する「現況判断DI」と、今後2~3カ月先の景気の見通しを意味する「先行き判断DI」の2種類で構成されています。DIは0~100の範囲で表現され、50が横ばい、上回れば良い、下回れば悪いという意味です。

家計動向の現況判断D I を見てみましょう。図3-6の通りに推移しています。

基準である50を超えた期間の方が少ないので、そもそもGDPと家計消費が示す経済成長率には大きな違いがあります。このあたりも景気ウォッチャー調査が景気全体ではなく、「街角景気」と評される所以でしょう。

2016年は、2014年消費増税、2011年東日本大震災、2008年リーマンショック以来の落ち込みを示しています。2017年の後半になってようやく脱却できたと思ったら、2018年にまた基準である50を割ってしまいました。街場の家計動向は、GDPで見るほど成長していないというのが実際なのかもしれません。

もしかしたらGDPという指標自体が日本全体の景気動向を表しきれていないのではないでしょうか。そもそもGDPという数字は、どこまで信用できる数字なのでしょうか。私たちはGDPという指標の過去、弱点、問題点に目を瞑つむったまま、数字だけを見て「良い」「悪い」と判断しているのかもしれません。


GDPは20世紀の遺産

GDPはいつ頃、どのような目的で発明されたのでしょうか。諸説あるようですが、原型は1665年のイギリスだと言われています。

1665年から1667年にかけて行われた第二次英蘭戦争を前に、戦争に必要な資源が足りているか、徴税で戦費を賄えるかを見積もる必要がありました。そのために学者だったウィリアム・ペティが、イングランドとウェールズの収
入、支出その他資産を推計したのが始まりでした。
ただし「国の経済力の大きさを測る」という目的は同じでも、現在のGDPのような単一指標ではありませんでした。

それ以降、様々な国が経済力の計測に力を注ぎますが、目には見えない経済という概念をどう測るかに苦戦します。測り方も数え方も国によってバラバラで質は悪く、国家間の比較には到底耐えられませんでした。目に見えないものを可視化・数値化するのは、それぐらい大変だったと言えます。

それから約260年後の1930年代、GDPの前身であるGNPが生まれます。キッカケになったのが世界恐慌です。フランクリン・ルーズヴェルト政権下、不況に関するより正確な情報を得るために、全米経済研究所に勤めるサイモン・クズネッツが国民所得計算を作成しました。

その結果、1929年から1932年の間にアメリカの国民生産が半減していることを明らかにしたレポートが1934年に連邦議会に提出されました。今まで表現できなかった経済力という包括的な概念が数字で表現されたこと、その数字がたった数年で半減したと示したこと。これらは全米を騒然とさせるのに十分でした。

1942年にはアメリカ発のGNP統計が発表され、運用が始まります。1947年にはマーシャル・プランと呼ばれた欧州復興計画を遂行するため、少ない資源をより効率的に使うことを目標に、国連が中心となって経済測定のための基準が作られることが決まりました。これが1953年に開始した国民経済計算体系(SNA)であり、GDPの計測方法を纏まとめた体系です。


どこまでGDPを信用できるのか

こうした歴史から分かるように、GDPはまだ約70年の歴史しかありません。そしてつぎに述べるように、いくつかの批判を受けながらも、いまだその解決には至っていません。

1点目は、GDPとは単に「概念の数値化」であり、どれくらいお金が使われたのか、レシートや領収書を集めたわけでも、生産量をひとつひとつ点検したわけでもない点です。つまりGDPを明らかにする理論があって、その理論に基づいてGDPという本来計測できないデータ、目に見えない概念を、あたかも具体的な数字を計算したかのように表現しているに過ぎません。

GDPを求める理論体系であるSNAは、1953年当初は50ページに満たないマニュアルでしたが、理論の精度をより高め、目に見えない概念をより現実に近付けるために、1968年、1993年、2008年と3回改定しました。その結果、2008年に公開されたバージョンは722ページにまで膨れ上がっています。それほど高度な計算式に進化したのです。

ちなみに、少し前のページに戻っていただくと、図3-2と図3- 3には「2008SNA」と記載しています。これは2008年に公開されたSNAで作成したことを意味しています。

版を改定する度、それまで測れていなかった経済取引が測れるようになっていきました。言い換えると、測れるようになると一気にGDPが増大する可能性もあるのです。そうした例が2010年のガーナです。2010年11月5日、政府
統計局は計算方法を改めたところ、GDPが一夜にして60%も増加したと発表して話題になりました。今までと何ひとつ変わらないのに、計算方法を改めるだけでGDPが一気に膨らんだのです。果たして、そんな指標であるGDPにどこまでの信頼を寄せていいのでしょうか。

つまりGDPとは「この枠内の経済活動を測ります」と宣言しているに過ぎません。経済のすべてが計測できているわけではないのです。今でも多くの「計れていない経済取引」があります。その代表例が家庭内の生産や自家生産です。たとえばメルカリを用いた個人同士の取引もそのひとつです。この先、ますます新たな経済活動が生まれるのに、GDPの枠内でしか物事を判断しないのは正しいのでしょうか。

2点目は、GDPの持つ正確性の担保が非常に難しい点です。1970 年代、イギリスは英国病と呼ばれる経済停滞に苦しんでいました。経済成長率は低く、インフレ率は高く、貿易赤字は膨らむ一方。ついに1976年には、IMFに緊急融資を申請せざるを得ないほどの危機に直面します。融資の条件として財政赤字のGDP比率を一定以下に切り下げる必要があり、当時の内閣は緊縮財政を強いられることになりました。その結果、国内運営は崩壊し、3年後にサッチャー率いる保守党が政権を奪回します。

しかし後になって貿易赤字とGDPが修正され、あの時の「危機」は「危機とまでは言えない」と過大評価だったことが明らかになりました。決して作られた危機では無いのですが、あらゆるデータを寄せ集め、こねくり回しているうちに、少しオーバーに表現してしまったのでしょう。誰も責めることはできません。

様々な経済活動をカバーして、計測できていない場合は1から計測し、特定期間内のありとあらゆるデータを寄せ集め、それらをまとめて複雑な処理を施し、GDPという概念に収まるよう綿密に加工した結果が、私たちが普段目にするGDPの数字なのです。

途中で計算ミスを犯し、コンマ数%間違って下方に発表したとして、後から何をどうやって間違えたのかも確認できないでしょう。そもそもGDPの計算詳細は、日本国の場合は非公開となっています。なぜその数字になったのか、誰も検証すらできないのです。GDPとはそういう数字なのです。

ちなみに図3-4の長期経済統計は約60年以上の推移が示されていますが、データの参照元はそれぞれ異なります。1980年以前は平成10年度国民経済計算(平成2年基準・68SNA)、1981年から1994年は平成21年度国民経済計算(平成12年基準・93SNA)、それ以降は平成28年10-12期四半期別GDP速報( 2 次速報値) です。

それぞれ基準の異なる計算方法なので、データの境目はガーナまではいかないものの数十兆円単位で違いが生じます。したがって、そうした矛盾が生じないよう特殊な処理が施されています。1990年の実質経済成長率は5.6%でしたが、その当時そのまま報道されていたかと言えば、恐らく違うでしょう。

3点目は、経済の規模のみ評価しており、その国の生活水準の向上や暮らしの豊かさを評価できない点です。例えばメール、LINE、アプリを使った無料通話が誕生し、私たちの日常はより暮らしやすくなる一方で、有料の郵便や電話は使わなくなりました。無料サービスの場合はGDPに計上されませんから、有料サービスが無料サービスに移行した分だけGDPが目減りします。豊かになったのにGDPが減少する(=経済成長率が悪化する) という矛盾が生じるのです。

GDPは経済の量を計測しますが、質は計測できません。

単に、国内で使われたお金の総額であり、生活の質とは何ら関係ありません。例えば今までより耐久性に優れた製品が出ると、生活の質は向上しますが、買う頻度が落ちるので、GDPを見れば経済成長率の低下に繋がります。イノベーションにより値段が安くなると、もう最低・最悪です。

GDPと生活の質は違う。こんな当たり前で単純な話は、いつの間にか混同して認識されるようになりました。もちろん年金、医療などの社会福祉を維持するためには財源が必要ですからGDPが伸びなければいけません。しかしGDPが伸びているからと言って、日本は他の国より暮らしやすい、暮らしにくいとは言えないのです。


この章のまとめ

結局、アベノミクスで景気は良くなったのでしょうか。

GDPという指標で見ると、確かに再び経済成長し始めたように見えます。しかし、その指標そのものが脆弱で、果たして日本の経済力そのものを表現しきれているかと言えば疑問符が付きます。

それでもGDPを使って経済成長を測るしかありません。なぜならGDPのデメリットを打ち消した代替となる指標の開発ができていないからです。むしろ使う側の私たちがGDPのデメリットを認識した上で運用するしかないでしょう。

一国の経済力を、たった1つの指標で把握することを止めようとする動きもあります。例えばOECDは「より良い暮らし指標」をWEBで公開しています(図3-7)。所得、仕事、教育、環境、安全など11の要素を混ぜ込んだ相対的な指標です。

この指標の良いところは、11の要素単位に細かくチューニング可能な点です。何を重視するかによって得点が変わるのです。

短期的な経済成長のためにGDPをいかに伸ばすかを議論するより、長期的な持続可能性を考慮した政策立案のためにはこちらの指標の方が良いように思うのですが、残念ながら2018年現在の国政ではまったく議論されていません。


「データサイエンス「超」入門」には掲載できなかった漏れ話

先日、元日銀マンの鈴木卓実さんと講演をさせて頂いた際、「今のGDPは30兆円過小評価しているんじゃないかという論文が日本銀行から出ています」という話が出てきました。

(参照)税務データを用いた分配側GDPの試算
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/data/wp16j09.pdf

上記論文から一部引用させて頂きます。

現行の生産側GDPや支出側GDP、言い換えると名目GDPの公表値と比較して、本稿で試算された分配側GDPはほぼ一貫して大きい値となっており、そのかい離幅は、直近のデータである 2014年度では 27~29.5兆円と名目GDPの約6%に達している。(略)
実質GDPの成長率をみると、2014年度の実質成長率は、プラス成長(+2.4%)と、現行GDPにおけるマイナス成長(▲1.0%<年次確報時>)と比べて、大きく上振れており、かなり違った動きとなっている(図表 22(2))。2004 年度以降の試算値の実質成長率の平均値を算出すると、+1.2%と現行(+0.6%)対比 0.6%ポイント高くなる。

こうした背景もあって、日銀はGDPの実質成長率を従来より高い精度で予測できる新手法を英語の論文で掲載し、日経新聞が報じました。

日銀と内閣府は、もともとGDPを巡って暗闘を繰り広げています。最近でも2018年3月と関根敏隆調査統計局長が内閣府に「データを見せろよ!」と言っていますが、要は「お前らのデータは信用ならん」と言っているようなものです。

ちなみに、この暗闘はずーーーーーーーっとやっていて、2016年ぐらいから日銀はいよいよ喧嘩腰です。


ただ1つ気を付けたいのが、これは「安倍政権の改ざん問題」ではありません。例えば石破政権が誕生しても、野党政権が続いても起きていた問題でしょう。

いま、公的統計の信頼が揺らいでいるのです。予算が無い。人手が足りない。このままだと、誤った数字で誤った判断をしかねません。

「データサイエンス「超」入門」は、そうした危機感をもとに、ある著名な政治家に献本させて頂いたのですが、私みたいな一般人の声は届かないようです。残念です。

このnoteをきっかけに、国内で議論が巻き起こることを期待しております。

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松本健太郎
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