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フィットネスのちから ZUMBA&DanceでSmile for JAPAN!(上野聖人さん・協子さん)



上野 聖人さん(ZUMBAインストラクター)
上野 協子さん(一般社団法人 Smile for Japan Project代表)

―今回は、東日本大震災後の2012年から宮城県仙台市と亘理郡山元町を拠点として、ダンスレッスンやサークル活動を通じて被災地支援を続けている上野聖人さんと協子さんにお話をうかがいます。協子さん、Smile for Japan Project立ち上げの経緯からお話しいただけますか。



Smile for Japan Projectホームページより http://smile-4.com/

協子さん きっかけは、東日本大震災当時チアダンスを教えていた小学生の4人の子たちが、津波で家を流されながらも、チアダンスの練習をしたい、仮設住宅に行ってみんなを元気にしたい、と伝えてくれたことでした。

 「こんな時だからこそレッスンを再開してください」との保護者の皆さんからのご希望もありました。子どもたちのために、大好きなダンスで仲間と一緒に過ごす時間や発表の場を作りたいと思って、一般社団法人を立ち上げました。その後は年に一度の発表イベントや被災地を回る活動をしてきました。

―聖人さんがZUMBAを始められたのも同じ頃ですね。

聖人さん 2013年です。20代の頃に社交ダンスを始めて、30歳を過ぎてからプロになったのですが、途中で諦め止めていました。でも、またダンスがしたいと思っていた頃に、たまたま仕事先のお客さまから「娘がZUMBAっていうのをしたいと言っているけれど知ってる?」と聞かれたんです。

 調べてみたら、すぐ近くでサークルをやっていまして。顔を出したら私自身がハマったんですよ(笑)。なんて面白いんだ、なんでこんなに自由なんだろう。自分のペースで楽しめばいいんだというのが第一印象です。

それからZUMBAをもっと勉強したくてB1を受け、周囲の先生に勧められてサークルでリードを取り代行もさせてもらいました。それがまたすごく楽しくて。自分のサークルを持ちたいという気持ちが出てきました。

 同じ頃、妻が被災地を回ってダンスを教えていたんです。私も自分が楽しいと思ったZUMBAで笑顔と元気を届けたいと、山元町にも行くようになりました。

 内陸部に町の地域交流センターや公民館などの施設ができて、その周りで避難してきた人たちが仮設住宅などで住み始めていた頃でした。ZUMBAを始めたところ「面白そうなことやっている」と町の皆さんが来るようになったんです。

 最初は私と同じぐらいの30代から40代の人がお子さん連れできて、それから一緒に住んでいるおばあちゃんたちも集まってくるようになりました。みんな笑顔で踊っているのが嬉しくて、「家族まとめて1人分の料金にするから、みんなで楽しく踊ろうよ!」と家族割もつくってサークルを始めました。

 みなさんZUMBAはもちろん、フィットネスのサークルも初めて。中には80代の方もいました。「疲れたら休んでもいいし、座っていてもいいから、音楽だけ聴いていて」「私、よく間違えるから、みんなも間違えてもいいんだよ。自分の踊りたいように踊ってみて」と声かけをしました。

 それぞれ自分のペースで、当初は好きな曲になったら立ち上がって踊るという方もいました。60代の方には「60年山元町に住んでるけど、こんな楽しいことが待ってるとは思わなかったよ」と言っていただいたんですよ、


協子さん Smile for Japan Projectでは、聖人さんがZUMBAサークル、私はキッズチアダンスや骨盤底筋トレーニングヨガ&床バレエを受け持っていました。


 それから、若い先生方にお願いをして、よさこいチームや3世代のヒップホップチームを作ったんです。山元町には仙台から車で片道1時間ぐらい。みんなガソリン代もかかるはずなのに快く引き受けて下さって、本当にありがたかったです。


 町では今までフラダンスやジャズダンス、体操などの教室はあったと思うのですが、ZUMBAやチアダンスやヒップホップ、今風の元気が出るダンスはなかったと思います。町民の方々にとっては新鮮で喜んでいただけました。

―聖人さんは山元町のチームを率いて仙台カリエンテにも出場されていますよね。


聖人さん 2018年に15、6人ぐらいの2チームで出ました。


 参加した方がみんなに伝えてくれて、「私も出たい」という人が増え、次の年は5チーム、30数人が集まりました。


 たまたま2年目の会場が温泉だったので、「おじいちゃん、おばあちゃんたちも温泉つかりに行こうよ。若い者が車で連れていくから」と誘ったら、「行きたい、行きたい」と言って参加してもらえたんですよ。山元町は田舎なので、高齢の方が出かけたり、若い人たちと交流したりする機会があまりなかったんです。サークルによって老若のつながりができて、嬉しかったです。

―カリエンテの後、B1のトレーニングコースが山元町で開催されたとお聞きしています。


聖人さん メンバーさんが「ZUMBAをもっと知りたい」って言い始めたんです。たまたま県外のB1を受けに行った方がいて「ZUMBAのことがすごくよく分かった」と。そうしたら「私も受けたい」「私も受けたいから山元に先生を呼んでB1を受けさせてください」ということになって、無理を承知でZUMBA事業部にお願いしてみました。


 事業部さんが対応してくださり、和田野広美先生が山元町まで来てくださってB1ができました。トレーニングコースにはサークルメンバーを中心に60代の方も70代の方も含めて、30人ぐらい集まったんですよ。その中にはB1の後、新しくサークルを立ち上げた方もいました。

―山元町でZUMBAの輪が広がったのですね。これからも山元町でのサークル、続けていかれますよね。

聖人さん もちろんです。山元町には思い入れもありますので。宮城ではこの間も震度6強の地震がありましたが、昨年は豪雨のために、山元町に限らず他の町でも被害が大きかったんです。その時に、グループLINEで断水した地域の方たちに他の地域の方が、「うちの方は水が出るから持っていきますよ」というようなやり取りがありました。

 ZUMBAやフィットネスのためだけのサークルというよりは、身近に住んでいる人たちのつながりができて、小さな町だからこそみんなで助け合えるサークルになっていたことに気づきました。

 サークルをしている施設の職員さんが、うちのサークルメンバーは、全員があいさつして帰ってくれるって言うんです。皆さんニコニコ笑いながら帰ってくれるのを見ていて気持ちがいいと。

最近はコロナで施設の大幅な人数制限があったり、大きな施設がワクチン接種会場になって使えなくなったりして、メンバーが減ってはいますが、1回も休まず来てくれる方もいます。私の母と同い年の69歳なんですよ。

パーキンソン病で歩くこともできない方が、娘さんが付き添いで座って参加して、曲をかけると立ち上がって踊ろうとしたこともありました。ZUMBAって、心の奥底から盛り上げる力がありますよね。

 私がZUMBAを始めた頃「何だこの楽しい曲、楽しい踊りは!」と思ったのと一緒です。誰でもできるんですよね。山元町の方たちのためにも、私は求められる限りZUMBAを続けていきたいと思っています。

―協子さん、聖人さんのお二人が出会ったきっかけもダンスでしたよね。


聖人さん 私が社交ダンスのパーティーで声をかけたのが始まりです。妻は何にでも挑戦する人で、妻のおかげでいろいろなジャンルのダンスを経験しました。被災地でみんなを笑顔にすると言って山元町に行き始めたのも、行動力の源は妻なんですよ。

協子さん 私はおばあちゃんになってもドレスを着て踊りたいと思って、結婚するなら社交ダンスができる人と、って思っていたんです(笑)。踊っている間は無心になって何も考えずにいられる。私もダンスが大好きです。

 聖人さんは社交ダンスの大会の時に、ドレスを着たお母さんと踊っていたんですよ。お母さんとワルツを踊って、お母さんも絵になるほど素敵な人で。聖人さんも心底、踊るのが好きなんだと思います。これからも二人で、いつまでもダンス人生を続けていきたいです。

―ありがとうございました。これからも山元町の皆さん、聖人さん、協子さん、どうぞお元気で楽しいZUMBA&Danceライフをお過ごしください。

※ZUMBAは商標登録されたプログラムです。

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