韓国映画「君の誕生日」と「KCIA 南山の部長たち」をめぐって(Ⅰ)
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新鋭のイ・ジョンオン監督がメガホンをとった「君の誕生日」は、韓国のトップ俳優二人(父ジョンイル役のソル・ギョング×母スンナム役のチョン・ドヨン)がW主演して迫真の演技を見せ、高い評価を受けた。
<前口上~子役の情景>
「君の誕生日」(2019年、原題:「誕生日」)――こんなに泣ける映画は、最近なかった。
「クレイマークレイマー」(1979年)も「ライフ・イズ・ビューティフル」(1997年)も、そばで一緒に観ていた家族があきれるほど泣いた。
「シェーン」(1953年)も「チャンプ」(1979年)も映画館の暗闇で、隣の席に気づかれないよう、声を上げずに泣いた覚えがある。
少年のころに観た「しいのみ学園」もそうだったが、子どもがらみの映画って、どうしてこんなに切なく悲しいのだろう。
――子役の演技が上手いから? それももちろんあるが、観る側の記憶や思い入れが悲しみを増幅させるのかもしれない。
韓国は子役の宝庫だ
子役といえば、是枝裕和監督の作品には、達者な子役がたくさん登場する(監督の演技指導もユニーク)が、この「君の誕生日」には、兄を亡くした小学生の妹イェ・ソル役のキム・ボミンが繊細な感情を見事なくらいに表現していて、どうしてこうも韓国の子役は揃いも揃って芸達者なのだろうと感心してしまう。
ことに、ベトナムに長期赴任していた父親が帰郷し、「どの子なの?」と顔の見分けもつかずに娘を校門で出迎えるシーン――このときのキム・ボミンといったら、見おぼえのない相手に怯え、どう接したらよいか戸惑い、現実かと見まごうばかりだった。
キム・ボミンは“知らないおじさん”に警戒心を解こうとしないのだが、“父親”がおもちゃを買ってくれる“優しいおじさん”に変身してから心を許すようになり、ついに笑顔を見せるまでの心が波打つプロセス……この数分間の表情の変化に、釘付けになってしまった。
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いまだ耳に残る「助けて!」の声
「君の誕生日」は、今から7年前の2014年4月16日、韓国・全羅南道の沖合で起きた大型旅客船「セウォル号」海難事故の遺族の物語です。
その事故から2年後、NPO代表の声かけで、セウォル号事故による遺族たちや亡くなった子たちの高校同級生が大勢集まり、亡き子をしのぶ<誕生会>が開かれ、残されたみんなが少しずつ癒されていく、その軌跡がドキュメンタリータッチで描かれます。
映画のハイライトとも言える<誕生会>の場面は、カメラを3台まわし、およそ30分間、ノーカットで撮られたそうですが、「君の誕生日」は、遺族のみんなが再生する<誕生日>でもあったのです。
この307人の死者(乗員乗客299人、捜索作業員8人=ウィキペディアより。※死者数は諸説あり)を出した海難事故は、日本でも連日ニュースで報道され、痛ましい詳細が明らかになっていきました。(今も行方不明者がいるという)
死者のほとんどは修学旅行で乗船したソウル近郊の高校生たちで、海水が容赦なく侵入してくる船室から家族に間ぎわの電話をかけ、友人にメールを発信し、1時間余りも救助がなく船室に閉じ込められたままの彼ら彼女らの「助けて!」の再生音声が放送を通して伝えられました。
かたや、世界から反感をかったのが、一般乗客にまぎれて沈没船から自分だけ脱出しようとする、船長の映像にとらえられた行動でした。
(事故翌年の判決で、船長は無期懲役刑が確定)
「カネをいくらもらったのか?」という二次被害
さらに、遺族たちの悲劇に拍車をかけたのは、政府当局に抗議デモをかけた<事故原因の徹底究明派>と政府に押し切られるかたちで早期決着をはかろうとする<補償派>の二派に分断され、ともに世間から非難を浴びるという“二次被害”でした。
とりわけ<補償派>は、いくらカネを貰ったの?などと、親族や世間からのやっかみや誹謗中傷にさらされました。
こんな理不尽なことって、あるでしょうか。
子どもの死によって金儲けしたかのような……。
その場面は、「君の誕生日」の主人公夫婦の親せきの集まりの席に出てきます。
“そのカネで自分の新事業に投資してくれ”とか、“そのカネで借金を返せ”と叔父から迫られ、ベトナムに赴任中で事故当時は不在だったため、その贖罪の一心で沈黙してきた父親が、「借金は返す! 帰れ!」と一喝するシーンに再現されています。
「セウォル号」海難事故の原因は、過積載により船体バランスを崩し、操船ミスもあって転覆したと言われていますが(今も文在寅政権のもとで調査中)、被害者内部のそうした対立は、日本でも数多くありました。
戦中の原爆や大空襲などの戦争被災者や水俣病などの公害訴訟のなかでもクローズアップされてきました。
とかくこの世は「理不尽」だ
オウム真理教によって妻を重態のすえに亡くしながら、一時は加害者であるかのように報道された松本サリン事件の河野義行さん、最近では、山梨県道志村のキャンプ場で行方不明となった幼児の母親が、被害者家族でありながら「仕組まれた誘拐」などと加害者であるかのようなネット中傷(*)を受けるなど、“二次被害の理不尽さ”は日本でも、もっともっと深く考えられるべきだと強く思います。
(*)【速報】山梨県道志村のキャンプ場で2019年9月に行方不明となった千葉県成田市の●●さんの母親をインターネットで中傷したとして、名誉毀損罪に問われた静岡県熱海市、投資家野上幸雄被告(70)の判決が17日、千葉地裁であった。安永健次裁判長は、懲役1年6月、執行猶予4年(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。
(2021/12/17 14:16 読売新聞オンラインより)
キャンピングカーで国内を生活移動する流浪の民(ノマド)となった「ノマドランド」の主人公(同主演女優賞のフランシス・マクドーマンド)は、他人の手を借りず迷惑もかけず、まっとうに生きようとしているのに異端視する社会に対し、「理不尽に思える」と怒りを秘めつつ静かに訴えます。
「理不尽」――立憲民主党の幹事長に就いた西村智奈美さんも、この「理不尽」という言葉で、政府と社会の有り様を批判しますが、コロナの自宅療養死(=放置死)にしても、我らが生きるこの世はつくづく「理不尽」であると思うし、西村智奈美さんが主張するように、まっとうに批判してこそ真の政党ではないか、そう思うのです。
(つづく)