[韓ドラ★Kシネマ]主役は<漢江>だ! 「グエムル」もう一つのメッセージ
【↑トップ画像】戦いすんで日が暮れて――雪が降りそそぐ漢江の岸辺に建つ掘っ立て小屋のような売店のロングショット。家族の再出発を予感させる映画「グエムル 漢江の怪物」のラストシーンは、その静謐(せいひつ)とした美しさで映画史上に残る金字塔ではないだろうか――フェリーニの「道」を思い起させるようなジンタ調のBGMも郷愁をかき立てる。
STOP THE WAR!
NO NUCLEAR WEAPONS!
<韓国>戦後家族史へのメッセージ
もう一つ、映画「グエムル」には、重要なメッセージが隠されているように思います。
老いた父親(扮するはピョン・ヒボン)と長男(ソン・ガンホ)、次男(パク・ヘイル)、長女(ペ・ドゥナ)、長男の娘(コ・アソン)という3世代にわたるパク一家が登場し、いずれも芸達者の俳優たちが演じるわけですが、それぞれの世代が韓国の戦後史を体現しているように思えます。
映画が進行するにつれ明らかになりますが、老父は朝鮮戦争で銃をとった兵士であり、店番で居眠りばかりしている長男がナルコレプシー(居眠り病、睡眠障害の一種)という病が疑われるものの、実は体力・精神力にすぐれ、窮地に陥った人間を救い、勇気を奮って怪物に立ち向かうヒーロー気質の人物であることが分かり、次男は大学卒ながら就職に恵まれないフリーターなのですが、過去に火炎瓶の製造と投擲に長けた学生運動の経験者だったという、日本とも共通する韓国のおそらく典型的な世代の姿が描かれています。
――余談になりますが、奇妙なことに、老父の妻は死別したのかどうかも伏せられ、長男は妻に離縁されているのですが、どちらの妻もその存在が回想や写真にもいっさい登場しません。
この母なるもの、妻なるものがなぜ作中で姿を消しているのか、監督・脚本の意図がどこにあるのか、今のところ見当がつきませんが、韓国で今活発なジェンダー論から考察するのも面白いかもしれません。
「386世代」が生んだ一級の社会派作品
先ほど、ポン・ジュノ監督は、<1980年代の軍事独裁政権打倒の民主化運動の世代>と言いましたが、この世代を韓国では「386世代」と呼ぶというのはよく知られた話です。
「386世代」とは、「1990年代に30代(3)で、1980年代(8)の民主化運動に関わった1960年代(6)生まれの者」(*ウィキペディアより)という意味で、ポン・ジュノ監督は、「グエムル」に登場する火炎瓶投擲の次男の生きざまにかつての自分を投影したように思えます。
いろいろな観方はあるでしょうが、「グエムル」は、その奇妙な怪物をCG製作するのに、有名なデザイナーに依頼し、製作予算のうち数億円も使ってしまったと、監督は盟友・是枝裕和監督との対談で苦笑まじりに語っていましたが、その怪物を退治するだけの話では決してなく、日本の植民地統治に対する抵抗闘争と朝鮮戦争の、いわば二つのバトルを生き抜いた世代の生きざまと、反核・平和思想を、エンタメのオブラートに包みながら観客に提示した、一級の社会派作品だと思います。
初期の「ウルトラマン」が訴えかけたもの
あまり熱心な視聴者だったとは言えませんが、「ウルトラマン」にも、沖縄出身の金城哲夫さんや大島渚組の佐々木守さんたちのシナリオと芸術派監督の実相寺昭雄さんの演出、それに「ゴジラ」の円谷英二さんの監修で制作された初期シリーズには、ヒーローと怪獣との闘いのなかに、人類が宇宙や地球上の他の生物を差別し絶滅させることを<正義>とする思想を少年少女たちの怒りや悲しみをもって告発する、といった作品がありました。
「グエムル」がベトナム戦争で使用された米軍の化学兵器(「エージェント・オレンジ」→作中では「エージェント・イエロー」)の攻撃にさらされるとき、「ゴジラ」が自衛隊によってミサイルを撃ち込まれるとき、「ウルトラマン」の怪獣や宇宙人が超越した能力の科学戦隊に殲滅されるとき、そのモンスターたちの断末魔の叫びに、なぜあれほど観る者が哀れに思い、涙するのか――それは“強者”の人間に対峙するモンスターが“弱者”に映るからではないでしょうか。
(「グエムル~漢江の怪物」 の巻――終わり)
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