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就活を辞めて学生起業した会社を事業売却をした話

大学4年生だった2020年11月に就活を辞めて起業をし、2023年の5月に事業売却をしました。

簡単に自己紹介

京野菜を乾燥させて販売するDtoCブランドをメイン事業としており、大学では農業を学んでました。

今はインドのバンガロールというITの街に暮らしており、そこでは日系のベンチャー企業に勤めています。

インドっぽい写真

インドで日々、カレーと戦う日々を過ごしていたのですが、尊敬をする起業家の方がされている"趣味を仕事にする"というテーマのプレゼンを聞く機会があり、何か新しいことをしよう!と思いたったので取り敢えずnoteを始めてみました。

学生から今までの変遷

タイトルにもあるように就活時代に血迷い、起業をしてインドに来るまでを簡単にまとめようと思います。

1.大学時代

ごく一般的な学生生活を過ごしつつも意識は謎に高く
・独学でプログラミングを学び、インターンを3社経験(1社戦力外になった)
・タイ好きが高じて、タイにいるYoutuber向けのサービスを開発
・京都の北部にある福知山というところにシェアハウス
など、色々と手を出したものの特に成果が出ずにくすぶってました。

そのまま就活を迎えたのですが、ネームバリューのある会社ばかり受けたのでほとんどお祈りで絶望という状況でした。当時Covid-19が流行り出したこともあり、それを理由に就活せずダラダラと過ごしていました。

しかし大学4年の9月以降から周りで内定を獲得する人が増え、焦りを覚えたものの、時間的に限界で絶望的状況でした。その時にホームページを作れる友人がいたので、彼を誘い何故か会社をすることになりました。

会社を作れば内定的な謎な考えを持っていました。

1社目の会社ロゴ

2.Webの制作会社を起業(1社目)

そんな訳で友人と会社を作ったのは良いのですが、ホームページを作った経験も営業の経験もなかったので、毎日何かをする訳でなくネットサーフィンしたり、交流会に行ったり不安な日々を過ごしていました。

特に、4月1日に同い年の皆んなが内定式に行く中、自分はスタバでネットサーフィンをしていた時は流石にやばいかもしれないと思ってました・・・
しかし、一緒に起業をした友人が非常に優秀だったので会社の売上はあり生活は出来てました。ただ自分も何かしないといけない焦りはかなりあったので、頑張ってネットサーフィンをしていた結果、"農業"に着目するようになりました。

形の悪いトマト

背景として、学生時代は農業に関することを勉強しており、農家さんの元に行くことが多かったのです。その中で目にしていたのが、形の悪く廃棄されている規格外野菜。これらは行き場がないと廃棄をされてしまいます。

そこからアイデアを膨らませつつ、イベントなどでピッチなどをして"野菜チップス"などの加工品にしてECで売るビジネスをしたい!と思うようになりました。そこから半ば強引(勝手)に会社内の新事業としてEC事業を開始しました。

3.野菜事業の始まり

野菜チップスを作ろうと思った私は友人の祖父が農業をしているのを知ってたので、早速話を聞きに行きました。すると予想通り、規格外に困っているとのことで、良いアイデアだ!と確信をしました。さらに規格外品は安くで手に入ると思っていたので、儲けることができると頭の中で考えていました。
しかし、話をよく聞くと、同じような考えで安くで規格外野菜を仕入れようと思う事業者は多く、結果的に農家さんが買い叩かれて苦しい状況にあるという話を聞きました。

最後に農家さんからは、事業をするなら"Win-Winの関係で良いビジネスをしてほしい"と真剣な眼差しでお話を聞き、今でも覚えていますが使命感的なものが生まれた瞬間でもありました。そこから農家さんの規格外野菜の課題を解決したいという想いで、事業を作る決意をして実行に移しました。

そこから色々な農家さんを周り、消費者の方にもヒアリングをして生まれたのが乾燥野菜ブランドOYAOYAです。

当時のパッケージ

4.共同創業を解散し、個人事業へ

野菜に対する使命感を感じた私ですが、共同創業の友人はWeb関連が好きな人だったので、同じ会社内で少しずつ分業化されていき完全に別の会社みたいな状況になったので、2021年10月に解散をすることになりました。

そして私は個人事業主としてOYAOYAを継続することになりましたが、収益がそこまで上がってなかったので限界ギリギリな状況でした。ただこの時期には、事業をやり切るんだという謎のスイッチが入っていたのでWebの案件をしたりポップアップにたくさん出たので色々とやり何とかして生き延びていました。

そして、有難いことに、何もなかったOYAOYAの初めからサポートしてくれたデザイナーの方や野菜商社の方のサポートがあり少しずつ事業として成長をしていきました。パッケージもリニューアルをしてメディアでも取り上げられ、大型発注が来たりと売上も上昇傾向にありました。

5.OYAOYAを法人化して、株式会社Agritureに

個人事業を約1年行い事業として、より成長させたいと思うようになったので2022年8月に法人化をしました。社名を"農業のこれから"を作るという意味を込めてAgriture(Agritculture * Future)にして2社目の起業がスタートです。

法人化しても特に今までと変わらず毎日乾燥野菜を売る日々でしたが、売上は成長傾向にあったので資金調達をして一気に成長させたいという想いが心の片隅に現れるようになり、投資家の方と話す機会が増えました。
当時の気分はスタートアップを経営している感覚でした。

6.海外でのキャリア

資金調達目前まで迫ったのですが、心に突っかかるものがありました。
それは"海外でのキャリア"です。

学生時代はタイのYoutuber向けにサービスを作ったのに始まるように海外で働きたい。という思いがどうしても心に残っており、資金調達をすると当分は海外で働けないのではないか。ということを考え結果的に投資家の方にはお断りをして資金調達をしませんでした。

それと同時期(22年10月)に海外渡航の制限が解除されたので、ベトナムに行きリフレッシュしようと思い渡航をしました。そこでの目的はcovid-19前から気になってた会社に就職したい旨を伝えに行くことでした。ベトナムに到着した、私は社長さんに連絡をしてアポを取りお話をする機会をいただきました。

そして12月からベトナムで働けることになったのです。

日本帰国直前の写真

しかし、ここで重要なのは3ヶ月前に起業した自分の会社です。もちろん辞めたくないと思ってましたが、外国に行って何もしないと事業が衰退するのが目に見えていました。どうしようかと色々な方と話をする中で、選択肢の一つとしてM&Aが候補として上がってきました。

7.事業開始から約2年での事業売却

正直M&Aは会社を売って、それで終わりといったものだと思ってました。なので、OYAOYAも事業運営したいと思っていた私にとっては不安がありました。ただ、何とかする必要があったので知人経由でM&Aを探しました。

その時に1社候補として上がってきた会社が、大手の包丁メーカーである貝印でOYAOYAがグループ入りすることで、シナジーが生まれてすごく良いディールになると直感的に感じ、そのまま契約完了にまで至りました。

2022年12月にはベトナムにすでに渡っており、2023年5月にM&Aが完了するまでは不安な日々が続いてましたが、チームのおかげで事業も維持できディールも完了することができました。

8.インド渡航&CEOとして事業運営

ディールが完了したと同時期に、ベトナムで働いて会社がインド展開することになったので、手を上げて配属してもらえました。インドは本当に異文化であるので、初めは戸惑いはありましたが人も興味深くカレーも美味しいので楽しく過ごしております。

そしてAgritureはというと、CEOという形で事業に携わっておりOYAOYAだけでなく新たに農作物関連のプロダクトを作ろうと新事業の立ち上げをしたりと忙しく日々を過ごしているような状況が続いています。

就活が上手くいかず、起業をしてから何とか生き延びて夢でもあった海外キャリアを達成できたのは、多くの方にサポートいただいたからだと感謝をしております。今後も目の前のチャンスをものにできるよう挑戦していこうと思っています。

最後になりますが、事業を売却してからDtoCの立ち上げや、特に農作物を販売されている会社の方からブランドの運営など色々と相談をいただくようになりました。私も創業当初多くの方にお世話になったので何か貢献できることがあればしたいと思っています。

人と話すことでアウトプットになるので、ご連絡いただければお話をさせていただければと思っております。

kojima@oyaoya-kyoto.com

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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