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日本国憲法が掲げる崇高な理想を護り抜く

1945年9月2日。大日本帝国降伏文書調印式が、横須賀沖の海上に停泊させたアメリカ海軍戦艦ミズーリの艦上で行われました。
マッカーサー連合国最高司令官の指示で、かつて1853年7月8日、日本に初めて来航したマシュー・ペリー代将率いるアメリカ海軍東インド艦隊の旗艦サスケハナ号が、横須賀沖の海上に停泊したのと全く同じ経度緯度の地点に、戦艦ミズーリを停泊させたのです。

大日本帝国降伏文書調印式

そして、そのペリーの旗艦・サスケハナ号が、まさにそのとき甲板上に掲げていた(当時の31個の星が描かれた)星条旗が、マッカーサー将軍の強い要望を受け、メリーランド州・アナポリスにある海軍士官学校博物館から遠路、わざわざ日本・横須賀まで取り寄せられ、降伏文書調印式が行われたミズーリ号甲板上に飾り付けられたのでした。
この、マッカーサーの偏執ぶりは、いわゆる超支配勢力が、遥か遠く信長秀吉の時代より日本占領を如何に切望してきたかを、自ずと表現しています。

超支配勢力の使者=マッカーサーが大日本帝国政府に、戦争と武力威嚇/行使を放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持しないと高らかに宣言した、絶対平和主義の日本国憲法を受け入れさせたのは、もちろん、アメリカを代表とする超支配勢力の日本支配永続化を狙った上での策だったわけですが、しかし、1950年6月25日に突如勃発した朝鮮戦争は、少なくともマッカーサーが聞いていたプランには無かったはずです。何故なら、マッカーサーは朝鮮戦争の勃発を受け、急遽、日本占領政策の大幅な変更を余儀なくされることとなったからです。日本の再軍備(後の自衛隊となる警察予備隊設置)も、そのひとつです。

日本には平和憲法があるからベトナム戦争(1955年11月1日〜1975年4月30日)に若者たちを送らずに済んだのです。当時の自民党政権は、日本国憲法の平和主義を正しく貫いてきたと、私は思います。

ところが、1989年〜91年の東欧社会主義諸国の民主化ドミノからソ連邦の崩壊を経て、いわゆる東西冷戦の終焉が演出され、国際政治の多極化が齎されると、米ソ両超大国が力の均衡で安定平和を保ってきた時代が終わったとの理論で、超支配勢力から日本に国際政治における軍事的貢献を求める圧力が、主にアメリカを通じ、加わり始めました。

現在の私は、奴等の身勝手を認めません。
かつて、私は一度、保守の論調に絆されて改憲論に傾いたことがありました。
しかし、2020年以降のいわゆるコロナ・偽プランデミックの企みを見抜いてゆく中で、日本国憲法改正の主眼は第九条の無力化とともに、民主主義と基本的人権を一瞬にして無効にでき得る緊急事態条項(政令条項)の創設にあることに氣づくことができました。

日本国憲法の公布詔勅

私たち日本人は、じっくりと時間をかけて、洗脳され続けています。
日本国憲法が湛える戦争放棄・戦力不保持の絶対平和主義と完全な民主主義そして基本的人権尊重といった崇高な理想が、戦争で深く傷ついた日本人の心身を癒し、未来へ向けて生きる希望を与え、脅威の復興へ繋がったことを、超支配勢力の奴等は後悔しているのです。奴等は自分たちのプラン計算が狂ったことのツケを、よりによって私たち日本人に回そうとしているということです。
私は、奴等の身勝手を断じて認めるわけにはゆきません。

私は、日本国憲法が掲げる崇高な理想を護り抜くため、憲法改正には一身を呈して反対し、その反対の志しを発信し続けます。

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