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【対立を乗り越える】 三島由紀夫が遺した2つの言葉

 自分たちの国を愛する。自分の家族・故郷・己れ自身を愛するのと同じことと思います。当たり前で自然なことです。
 現在の私たち日本人は、この当たり前で自然なことが堂々とできない雰囲気の中で教育を受け、成長し、社会に出て、今みなさん、こうして生活しておられます。いわゆる戦後、日本がアメリカとの戦争に敗れてから、このような有り様となっています。
 あと数年で、昭和にして100年となります。いわゆる戦後が80年を経過します。
 ここに至ってようやく、私たち日本人は、自分たちの置かれている本当の状況に目覚めてきたように、私は感じます。
 それは、素晴らしいことです。

 三島由紀夫は、かなり早過ぎたのです。
 やはり、もっと生きて欲しかった。
 生きて、私たちを導いて欲しかったのですが、ご自身の感覚の鋭さと先見性とが優って、さっさと逝ってお出でになって終われました。もちろん、当時(1970年・昭和45年)としては、非常に過激ではありましたが、私は今になってようやく、多くの日本人が、三島さんの仰りたかった事柄を理解できるようになったのではないかと思います。

 しばしば、とき〜時間というものが、物事を解決することって、あります。三島由紀夫の思想や行動に対する評価もまた、時間の経過によって、大きく変遷するのだろうと思います。その変遷が、日本と日本人の心を測る、指標のひとつとなっている(と、私は思う)。それこそが、三島さんが自決なさったことの意味なのではないでしょうか。


『死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とは』 https://www.businessinsider.jp/post-209905 より転載
©︎ SHINCHOSHA


 三島由紀夫については、数多の感想がありますが、私にとって、三島さんのふたつの言葉が大切で、忘れることはありません。

① 「『天皇』と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないから、いつまでたっても殺す殺すといってるだけのこと」

学生運動の嵐が吹き荒れていた1969年5月13日、三島由紀夫は東京大学駒場キャンパス900番教室に立っていた。
戦後日本を代表する作家、そして保守言論人として活動していた“時代の寵児”を招いたのは、当時大学を占拠していた「東大全学共闘会議(東大全共闘)」。 左翼学生の総本山とも言える団体だ。
……
……
実際、三島は討論会で「天皇」についてどのような言葉を紡いだのか。
学生の一人から「擁立された天皇、政治的に利用される天皇の存在とは醜いものではないか」と問われた三島の答えを見てみよう。

三島:しかし、そういう革命的なことをできる天皇だってあり得るんですよ、今の天皇はそうではないけれども。天皇というものはそういうものを中にもっているものだということを、僕は度々書いているんだなあ。その点はあくまでも見解の相違だ。
こんな事を言うと、あげ足をとられるから言いたくないのだけれども、ひとつは個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらは戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が坐っておられて、3時間全然微動だにしない姿を見ている。
とにかく3時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。
……
……
三島が感性的な「天皇の原体験」をオープンにしたことは衝撃的を与えた。もしかしたら、学生側はそこを突破口に、三島を論破できたかもしれない。
「あなたの個人的な天皇への原体験を普遍化しようとすることは間違っている」と。
ところが実際、三島に対する学生たちの答えは以下のようなものだった。

”安田講堂へ閉じこもる。そこでみんなが天皇と言おうが、言うまいが関係がない”
”三島氏が天皇と言おうが言うまいが、別に僕たちと共にゲバ棒を持って、現実に僕たちの側に存在する関係性、すなわち国家を廃絶すべきではないか”

これに三島は、「『天皇』と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と
手をつなぐのに、言ってくれないから、いつまでたっても殺す殺すといってるだけのこと
」と応じた。

死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とはhttps://www.businessinsider.jp/post-209905 より

② 「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」

……われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。…… 

……アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。……

……われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

三島由紀夫「檄文」全文https://blog.goo.ne.jp/chuo1976/e/7e7c82cc914909c742ae8dd3db33e413 より


『死の1年半前、三島由紀夫が東大全共闘と繰り広げた「伝説の討論会」とは』 https://www.businessinsider.jp/post-209905 より転載
©︎ 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会


 言ってしまえば、もはや、右派も左派も関係ないのです、14000年を遥かに超えた歴史を有する日本と日本人にとって。

 そもそも、そのような(右派だの左派だのという)概念そのものが『この世界を裏で操ってきた超”金持ち”エリート?集団ら』によって、勝手に作り出された概念だったではありませんか? 彼らは、意図的に対立概念を創出し、その対立を煽り、その対立に乗じて、どちらが優位に立とうとも、その背後にくっ付いて自在に操れる支配構造を作ってきただけの、もともと(アタマは良いが)中身の虚ろな、空っぽ野郎どもだったのです。

「『天皇』と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」

「自由でも民主主義でもない。日本だ」

 と、三島さんが言い放ちなされたのは、まさしく、そういうことでした。

 みなさん。
 目覚めるって、いったい何に目覚めるのでしょうか?

 右派でも左派でもありません。私たち日本人が日本人であること、私たちの日本が日本であることに、目覚めるのです。