自分たちの国を愛する。自分の家族・故郷・己れ自身を愛するのと同じことと思います。当たり前で自然なことです。
現在の私たち日本人は、この当たり前で自然なことが堂々とできない雰囲気の中で教育を受け、成長し、社会に出て、今みなさん、こうして生活しておられます。いわゆる戦後、日本がアメリカとの戦争に敗れてから、このような有り様となっています。
あと数年で、昭和にして100年となります。いわゆる戦後が80年を経過します。
ここに至ってようやく、私たち日本人は、自分たちの置かれている本当の状況に目覚めてきたように、私は感じます。
それは、素晴らしいことです。
三島由紀夫は、かなり早過ぎたのです。
やはり、もっと生きて欲しかった。
生きて、私たちを導いて欲しかったのですが、ご自身の感覚の鋭さと先見性とが優って、さっさと逝ってお出でになって終われました。もちろん、当時(1970年・昭和45年)としては、非常に過激ではありましたが、私は今になってようやく、多くの日本人が、三島さんの仰りたかった事柄を理解できるようになったのではないかと思います。
しばしば、とき〜時間というものが、物事を解決することって、あります。三島由紀夫の思想や行動に対する評価もまた、時間の経過によって、大きく変遷するのだろうと思います。その変遷が、日本と日本人の心を測る、指標のひとつとなっている(と、私は思う)。それこそが、三島さんが自決なさったことの意味なのではないでしょうか。
三島由紀夫については、数多の感想がありますが、私にとって、三島さんのふたつの言葉が大切で、忘れることはありません。
① 「『天皇』と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないから、いつまでたっても殺す殺すといってるだけのこと」
② 「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」
言ってしまえば、もはや、右派も左派も関係ないのです、14000年を遥かに超えた歴史を有する日本と日本人にとって。
そもそも、そのような(右派だの左派だのという)概念そのものが『この世界を裏で操ってきた超”金持ち”エリート?集団ら』によって、勝手に作り出された概念だったではありませんか? 彼らは、意図的に対立概念を創出し、その対立を煽り、その対立に乗じて、どちらが優位に立とうとも、その背後にくっ付いて自在に操れる支配構造を作ってきただけの、もともと(アタマは良いが)中身の虚ろな、空っぽ野郎どもだったのです。
「『天皇』と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」
「自由でも民主主義でもない。日本だ」
と、三島さんが言い放ちなされたのは、まさしく、そういうことでした。
みなさん。
目覚めるって、いったい何に目覚めるのでしょうか?
右派でも左派でもありません。私たち日本人が日本人であること、私たちの日本が日本であることに、目覚めるのです。