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「直観」の養い方


三浦建太郎『ベルセルク』白泉社 250話

前回「みえる」ということに関して投稿しましたが、今回は「直観」をどのようにして確信するか、ということを焦点に書いていきます。

「直感」と「直観」

ひとによっては「直感」を使う方もいれば「直観」を用いる方と別れると思います。私は「直観」を好んでいます。
「直感」は「なんだかそう感じる」というフィーリングのニュアンスが強く、かたや「直観」は「わからないけど結論はこうだ」という、説明を飛ばした答えに行きつくもの、だと思っています。

「直観像資質者」(アイデティカ―)

精神分析などの分野で「直観像資質者」という名称があります。
「資質者」は「複数の言語を覚えられる」「一度見たものを忘れず、必要なときに引き出す」ことができるとされ、精神科医の中井久夫氏(それぞれの言語が色つきでみえると述べており、数カ月で対象の言語をマスターできてしまう)や漫画家の手塚治虫氏(どのページの何コマ目に何を描いたかを覚えている)などが挙げられるそうです。
このように「直観」は途中過程を無視した結論にいきつくもの、という認識で間違いはなさそうです。

自身の「直観」を信頼する

「直観」を養うにはいくつかの方法があります。

①瞑想(アメリカで確立されたマインドフルネスなどが挙げられますが、アクティブイマジネーションなど方法論は多岐にわたります。相性の問題もあるのでこれは一つひとつ確認するしかないでしょう)
※上記画像のように「イメージ」を育てる方法も一つです。元ネタはニューエイジ論が流行った思想家の方法論だそうです。

➁トランプを用いた方法(絵柄付きのカードならなんでも。任意のカードを複数裏向きにして、「目的のカードではないもの」を選んでいくという方法です(カードを最初から「当てる」のではない、ということです。「これは違う」という「感覚」を養うことを目的としています))。

③創作活動(文章、音楽、絵画、演劇等。芸術活動は内的感覚を養う最適な方法だと思います。)

④いわゆるシンクロニシティがはたらいているか(理論は提唱者によって様々ですが、「向こうの世界が投げかけたものが、この世界で応じたために生じるもの」という説明が腑に落ちます)。

「直観」を信頼するというのは結局のところ「自身を信頼する」ということにつきます。瞑想は特に「外的要因」をなるべく排除して「魂の内なる声」に耳を傾ける、という意味があります。「自身の評価は他者がいなければ意味をなさない」という意見も一理ありますが、「自身を信頼する」のは「他者の評価」とは異なります。「自身の信頼」ができたとき「直観」も信頼できるでしょう。

本日はここまでで。
ありがとうございました。

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