オルフェウスの謠

主に自身のこと、神智学(シュタイナーなど)、ホリスティック教育関連について投稿します。

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最近の記事

「直観」の養い方

前回「みえる」ということに関して投稿しましたが、今回は「直観」をどのようにして確信するか、ということを焦点に書いていきます。 「直感」と「直観」 ひとによっては「直感」を使う方もいれば「直観」を用いる方と別れると思います。私は「直観」を好んでいます。 「直感」は「なんだかそう感じる」というフィーリングのニュアンスが強く、かたや「直観」は「わからないけど結論はこうだ」という、説明を飛ばした答えに行きつくもの、だと思っています。 「直観像資質者」(アイデティカ―) 精神分

    • 「みえる」ということ

      求められる情報に関して とある方より「神智学よりも優先して書くことが必要なことがある」とメッセージをいただきました。 私)「優先すべきこととは?」 相)「能力者としての開示」 なるほど。 めざすは毎週投稿一本です。 ということで表題にあるとおり、「みえる」ということに関して述べようと思います。 「見える」と「視える」と「観える」 いまさらながら、私はいつごろからか「みえ」てしまうことに気づかされました。 これは職場の同僚からの指摘があったからでした。(その方もいわゆ

      • シュタイナー『アカシャ年代記より』を読んで(前編)

        「アカシックレコード」を知ったきっかけ 「アカシックレコード」という言葉を知ったのは私が小学生のころだった。 真倉翔・岡野剛著『地獄先生ぬ~べ~』20巻#168(集英社 1997年)に、屋台売りの老人(明石谷老人)が作中で 「過去・未来・すべての物・人・生物 その記録が延々と書かれた紙が・・・そんな膨大な記録なのに 見たいと思う情報が なぜかすぐに見つけ出せる わしはそれを書き写しているだけなんだ」 と述べている。これがいわゆる「アカシックレコード」であるという (主人公は

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