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島をくちずさむ ~ジュスにまつわる随想~ゲレン大嶋 【第1話】 1993年夏 沖縄 笹子さんとの出会い

三線を手にして数年が過ぎた頃、東京のFM局に勤める駆け出しのサラリーマンだった私は、仕事を通じてネーネーズのみなさんと知り合っていました。新宿で打ち上げをした時、古謝美佐子さんが「沖縄に来たら店に寄ってくださいね」と声をかけてくださったこともあり、それからほどなくして島を訪れた私は、胸を躍らせてお店のある沖縄市へと向かったのです。コザの中心地から少し離れた所にある古いビルに辛うじてしがみ付いている螺旋階段を上ってドアを開けると、薄暗いカウンターの中に古謝さんと宮里(吉田)康子さんがたたずんでいました。そこは当時お二人が出演していた民謡クラブ「島唄」。古謝さんの「よく来てくれましたね」という言葉と笑顔に迎えられ、カウンター席に座ります。古謝さんがオリオンビールを注いでくれたグラスを恐縮しながら受け取り、隣にいたお客さんとも軽くあいさつを交わすと幸せな宴が幕を開けました。少し打ち解けてくるとその人が「自転車で島を回っている友達がもうすぐ来るから一緒に飲みましょう」と気遣ってくれます。そしてしばらくしてやってきたその自転車の人物こそ、ショーロクラブのギタリスト、笹子重治さんだったのです。ショーロクラブは私が勤めていたFM局の番組テーマ曲も手がけており、いや、その前に、私はこの素晴らしいインストトリオのファンだったので、おそらく私は「番組でお世話になってます!」とか「ショーロクラブ、好きです!」とか言ったのでしょう。が、よく覚えていません。沖縄で、ネーネーズの店で、笹子さんと出会った・・・お酒が進まない訳がない!よって、その後の記憶は以下の2点のみです。私が三線を弾くことを知っていた古謝さんの「はい、大嶋さん、三線弾いて!」という言葉を受けて千鳥足でステージに向かって行ったこと。その私の背中に向って「最近(そのFM局に)三線を弾く人が入ったと聞いていたけど、それはあなたのことだったのですね」と笹子さんが言ったこと。あ、それともう一つ。泥酔していて三線がまともに弾けなかったこと。1993年夏、沖縄での魔法のような一夜でした。


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