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本当に大切なもの以外は削ぎ落とすことが、実は安心や幸せに繋がるということ

コロナ禍で「不要不急」という言葉を聞くようになりました。

この「不要不急」の生活様式のガイドラインを見たときの、なんとも言えないもやもや。

以前病院で看護師として働いていた時に感じた、
自分がやっていたことへの違和感とおなじかもしれない。

この違和感の正体はいったいなんなのだろう・・・・。
働いていた時の感覚を思い出します。


例えば、癌があると言われた人がいるとします。

「手術すれば取り切れるから2週間の入院が必要です。」と医師に言われれば、健康のために、一生懸命その2週間の治療を乗り越えようとするだろうと思います。

「この手術を受けなければ命が危険かも」という恐怖心は
「我慢すれば助かる」という希望に変わります。
病気に立ち向かい、元通りの生活に戻る事を求めるだろうと思います。

でも、癌でも仮に、全てを手術で取り切ることができなかった時。

「手術してから化学療法しながら、5年、10年その後の経過を見ていきましょう」といわれ、「癌と付き合いしながら生きていく人生」を覚悟せざるを得ないこともあります。

今まで当たり前と思っていた生活を大きく変えて、違うスタイルに適応して生きていく。

元通りではないけれど、病気とお付き合いして新しいライフスタイルを見つけて生きていく。

この『病気とお付き合いして生きていく覚悟』をする時に、私は看護師として思ってきた事があります。

全てを完全に元通りにしたい気持ち。それは当然あるものだけれど、それが難しいとわかったときに、人は失ったものに注目したままになってしまうと、そこで固まってしまい、前に進む道がふと見えなくなります。

すると、今の大切な時間を「失ったものを抱えながら我慢して過ごしている」時間だと感じながら過ごすことになってしまう。
そんなことがあるように思います。

出来る事の制限はあっても。
その中から本当にやりたい事を取捨選択し、大切にしたい事を追求し、
病気と付き合いながら生きていくと覚悟を決めた時に、
実は前に進めるのだと思います。

今のこのコロナ禍に同じ事を感じます。

制限を完璧にして、完全なる安心を求めても、難しいのだということが分かってきている今。そして経済活動の制限が解除となってきている今。

コロナ対策をしながらの新しい生活の中では、本当にやりたい事を取捨選択して大切にしたい価値を追加して、無駄だと感じられる事を削ぎ落としていく必要が出てきました。

その時間を我慢と捉えて過ごすのか、平等に与えられた24時間の中で、それをチャレンジの機会だと思って過ごすのか。

同じ時間にどのような価値をつけるかは自分次第です。

そして、大切にする価値は人それぞれ。

不要不急のガイドラインは、「生きるため」のものであって、
個々の幸せに生きる価値はなかなか反映しにくいと思います。


例えばですが。

「2食抜いてもいいから、ペットと一緒にいる時間が幸せ」と考える人にとっては、もし毎日の外出が2時間しかできないとしたら、「食材は週1回買えばいいから、ペットの散歩やグッツを買うことにその時間を充てたい」

そんな風に思うかもしれません。

人それぞれが幸せに生きるために選んだ自分の価値は、人と違う事もあります。

だからこそ、ルールだからというひとくくりで、自分の価値の物差しで人の価値観を否定する事のないようにしたい。

ルールの範囲内で、何をするのか、それは一人一人の自由なのだと思います。
そして自分の価値も大事にしてあげたい。
そんなふうに思います。


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のさき 花
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