【2024年最新版】アウシュビッツ強制収容所に1人、自力で行く方法〜10000kmのヨーロッパ旅行〜
はじめに
前回まではプラハにいましたが、夜にプラハを出発し、早朝にクラクフに到着しました。今日は、ついにアウシュビッツ強制収容所に向かいます。
今振り返ってもアウシュビッツを観光することは、個人的にすごく辛い体験でした。この日から数日はアウシュビッツのことや戦争のことばかり考えさせられた覚えがありますし、いまでも少し恐怖が残っています。
やはり行ってみて思ったのは、時代が経ち多くの人が、このような人類の過ちを知る必要があるということでした。
戦争の後に生まれたとしても、人として正しく生きるために、ぜひ訪れるべき場所だと思いますので、行き方を紹介できればと思います。
アウシュビッツ強制収容所は、Oświęcimという場所にあり、クラクフから車で1時間半ほどのところにあります。ワルシャワからのツアーもありますが、一人で行かれる方は、クラクフを拠点に移動するのがいいかもしれません。(ワルシャワからだとだいぶ遠いです。。)
旅程
アテネ → イスタンブール → ローマ → フィレンツェ → ヴェネツィア → ブダペスト → ウィーン → プラハ → クラクフ・ワルシャワ → フィンランド → ストックホルム→ ドルトムント → ベルリン → フランクフルト
クラクフからアウシュビッツへ
幸いなことに、クラクフ着の深夜特急が朝5時ほどに到着しましたので、バスでの始発6時20分のバスに乗ることができました。
バスはというと、Mój-busというバスを利用してアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の前まで行くことができます。
時刻表は上のサイトで、出発地点をKraków、到着地点をOświęcimにすれば調べることができると思います。(おそらく始発は6時20分、帰りの最後のバスは19時15分であまり変わらないと思いますが、、)
まずは出発ですが、クラクフのバス中央駅にいきます。
バスのチケットは運転手からしか購入できません。
時間になると、ロータリーにバスが来るので、運転手からチケットを購入します。片道:20zł(800円)です。
(先ほどのサイトもありますが、おそらくサイト内の購入をしようとするとクレジットカードが弾かれますので、十中八九運転手から購入することになります。実際、乗車したお客さんはみんな運転手から購入していました。)
また、他のブログを確認すると、行きのバスで往復分購入できるとの話がありましたが、僕の知る限りでは難しそうでした。
おおよそ1時間半で到着します。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
まず、バスが到着すると、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の前に到着します。
チケットの購入方法
基本としてアウシュビッツを観光しようと思ったらツアーに参加しないといけません。上のサイトを開いて、visit for individualsで日時を指定してみてください。
08:15〜15:30まで、それぞれの言語ごとのツアーが予約されています。
英語を予約したい人は絶対に事前に予約した方がいいと思います。
当日予約は基本きついです。
ツアー料金:110zł(4400円)
(ここで、日本語はありません。調べてみると日本人のツアーもあるようですが、ここにある現地で予約するものと違って、ガイドのつく別のツアーを予約する必要があるはずです。)
無料でアウシュビッツをまわるには
実は、アウシュビッツはツアーでなければ無料でまわることができます。
サイトにもある通り、時間ごとにツアーが用意されていて、団体の観光客だったり、多くの人は予約して回ります。
しかし、無料で行くこともできます。
それは、
15時以降タダでまわれるので、その時間以降の枠でチケットを買う!!
です!
実は、僕は他の方のブログを熟読してアウシュビッツに来ており、その中では8時から10時までは無料で入れる!と書かれていました。
しかし、最新情報として、この情報は異なるので、気をつけてください。
僕の情報も間違っていて、行ってみたら全部の枠が有料!という例も全然あると思うので、いろんな人のブログだったりを確認するといいかもしれません。
僕の例
僕が無料で入った経緯としては、7時半に着いてからまず窓口に行ってチケットを買います。ブログを見ていた僕はすぐに入れると思いましたが、実際に聞いてみるとガイドなしで無料で入るには15時まで待つ必要があるとのこと、、
15時入場のチケットだけ受け取って、待ちぼうけです、、
絶望でしたが少しポーランドの田舎を観光したかったので、今回は良しとしました(笑)。
Oświęcimの街観光
アウシュビッツをまわる観光には時間がかかるとのことで早く来た僕でしたが、思わぬ待ちぼうけで困りました。ただ、本当に助かったのが、博物館から徒歩30分ほどのところに大きなショッピングセンターがあったことです。
小さい街ですが、こういう場所はあります。少し落ち着いてから中にあったスーパーで500mlのビール200円を2本買って散歩しました(笑)。
3月のポーランド。驚くことに、本当に過酷な寒さがあります。
写真では見えない部分だと思いますが、逮捕されたユダヤ人はこのような寒さの街に送られ収容されていたことを思うと壮絶としか思えません。
実際、アウシュビッツの収容される中での過酷さは壮絶なもので、寒さによって亡くなる方もたくさんいました。実際に博物館や絶滅収容所に行ってはいませんでしたが、突き刺すような寒さはどんなに大変な場所だったかを簡単に体感できます。
改めて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
ようやく、15時を過ぎたタイミングで、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館に入ります。観光自体は1日は絶対に必要と見たことがあったので、駆け足で進みました。
概要を説明すると、この街には残っている収容所が2つあります。
一つは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館で、収容所内でどのようなことが行われていたかを写真とともに振り返ることができます。
もう一つは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館からバスで15分ほどの場所にある、アウシュビッツ絶滅収容所と呼ばれていた強制収容所記念跡地です。
(Google Mapはともに有名な写真となっていますが、実際は行く場所が2つあるので気をつけてください!)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館では、強制収容所記念跡地の方では爆破されてしまったガス室であったり、有名なBが逆さになっている写真の場所も見ることができます。
ここでは写真を出すことをしませんが、実際に展示されている中には世に出すことが難しような写真だったり、残っている遺品があります。
強制収容所に送られた人がどのような絶望的な環境であったか。銃によって人が殺されていた場所や、見せしめで殺す用の場所がありました。
口に出すのも憚られますが、アウシュビッツではナチスによる人体実験もされていました。Mengele's medical experimentというようなものであったり、その内容は恐ろしいものでした。
110万人のユダヤ人がアウシュビッツで殺されました。子供や女性に至っては、労働として使えないという理由で、ついたそのままガス室に送られることもありました。
アウシュビッツには、ユダヤ人だけではなく、ドイツの犯罪者や国際的な犯罪者が送られたり、ゲイの人もアウシュビッツに送られ、殺されるか、ゲイを後天的な病気として治療するといったような人体実験までなされていました。
資料の展示は、アウシュビッツ収容所内の実際に使われていた棟で見ることができます。センシティブな内容が多いので、覚悟していかれるといいと思います。
僕はというと、絶滅収容所にも行かなければいけないということもあって駆け足で全てを見ました。出る頃になると1時間ほど経っており、そこからアウシュビッツ絶滅収容所の方に向かいます。
正直この時、見たものの恐ろしさでパニックに陥っており、二つの博物館の間には、30分に1度のシャトルバスか何かがあったはずなのですが、40分ほどで歩いて向かった覚えがあります。
(どうしても歩いて気持ちを落ち着かせたくて、、)
アウシュビッツ絶滅収容所
イメージとして、こちらの方が物々しい雰囲気です。例えて言うなれば、博物館は、大きな概要を知ることができ、アウシュビッツ絶滅収容所で本物を見るというようなイメージです。
アウシュビッツは、ソ連軍が到着した際、実際にナチスによって行われていた惨状を目の当たりにし、ソ連軍によりそのまま残された世界遺産です。
実際に来てみるととてつもなく恐ろしい空間でした。線路を中心として両脇には、火葬炉がずらーっと並んでいます。
恐るべきはその広さで、全部を歩こうとするととてつもない距離を歩かないといけないというのが、想像以上でした。
(行ってみないと分からない、広いという怖さと、周りの森による閉塞感)
出る頃には17時半くらいになっていました。
移動も含めて2時間半で出ましたが、これは1人だったので、だいぶ駆け足で進めたというもあったともいます。
ただ、全部見ることはできました。
アウシュビッツからクラクフへ
正直、全てを見終わった後、とてつもなく帰りたいとばかり思っていた記憶があります。
眼を疑うような過去の歴史を目の当たりにして、いますぐにこの街を出たい。怖い。というのが率直な感想でした。
3月でしたが、気温は5℃あたりで震えるほど寒く、このような環境に昔の人が連れてこられていたと思うと、怖さしかありませんでした。
ヒートテックを5枚ほど重ねてもまだ寒かったんですから、、
帰り方はいろいろあります。街の駅からクラクフに電車で帰ることもできますが、行きに使ったバスの方が安かったのでそっちにしました。
しかしこのバス、全然電光掲示板とかなくて、時間になったら来るかも心配になるほど情報ないです。
先ほどのサイト、https://moj-bus.pl/で、時間を確認します。
よし、18時15分に来る。場所は、住所で書かれていますが、朝到着した、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館と同じ場所にくるので安心してください。
バスが時間ギリギリに来たら、行きと同じように運転手からチケットを購入して、クラクフに帰ります。
最後に
クラクフに帰って、すごく安心したのを覚えています。一刻も早くこのような場所から離れて、普段の生活に戻りたいと思いました。
プラハから始まりポーランドに来て、第2次世界大戦の戦禍をまざまざと見せつけられました。誰が悪いだろうと思った記憶があります。
ヒトラーが悪いのか、ドイツ人が悪いのか、、
答えはどれも違うんだと思います。
ヒトラーが生まれるには、世界恐慌による経済の悪化があったし、ドイツ人がヒトラーに頼らざるを得ないほど経済状況は苦しかったとおもいます。
ユダヤ人差別を助長したドイツ周辺の各国も戦争の状況によって仕方ない部分があったかもしれませんし、どこか辛い状況の捌け口になってしまっていたかもしれない。
どれも悪いとは思いません。しかし、とてつもない人が殺されたということだけが事実です。110万人が殺されました。これは何があろうと人類の過ちです。
何か結論めいたものを考えるのであれば、自分の身を守るのは自分なんだと思います。
戦場のピアニストを振り返ると、主人公は、ポーランドにいたユダヤ人家族で、ポーランド侵攻をきっかけとして、どうしようもない時代の渦に巻き込まれていきました。こんなことはあってはならないと思いつつ、そうならないようにするには自分がなんとかするほかありません。
どうしようもない外圧はそれとして、個人として自分を守ろう。それが大事な気がしました。
本当に最後
ただ本当に最後に、こんなことを思いました。
僕がアウシュビッツに行ったことでこれからの人生は変わるんだろうか。
確かに残虐な世界を目の当たりにして、恐怖と人間の怖さは再確認しました。戦争の恐ろしさを直に体験しました。
ただ同時に、どうしようもなく、僕が何かできるものでもないなと思ったんです。戦争という渦は個人の意識でどうにかなるものじゃないです。
そういう意味で言うと、もしかしたら、戦争を知らない世代は知らなくてもいい世界なのかもしれません。
行ったからといって何かが変わるわけじゃないです。愚かな過去の人々の所業を見るだけです。逆に人間の奥に眠った残虐性を呼び覚ましてしまうかもしれません。
結局こうした負の遺産に勝手に行って、勝手に考え込んでるのは、ただの自己満足なのかもしれないですね。
だって我々は戦争を知らないし、何かのために生を差し出すような覚悟はありませんから、、
(ギャルマインドで、ドン引きなんだけど〜って感じで見るのもどこか正しく、安心できる世界観な気がします。そんな世界であってほしい。 )
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