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冷蔵庫の余り物理論
ご馳走と余り物
「冷蔵庫の余り物理論」
これは僕が勝手に作った言葉なのですが、
物事の作られた動機について考えようというものです。
例えば家で料理を作ろう、となった時に
ハンバーグが食べたくてミンチ肉を買いに行ったとします。
目的が先にあって、足りない手段を準備するパターンです。
ハンバーグの為にあれこれ材料を買い揃え、
完璧な1皿が出来上がりました。
その翌日、余ったミンチ肉でミートボールを作ったとします。
こちらは手段が先にあるパターンで、目的が後付けです。
"食べたいから"ではなく"余った食材を使う為"の料理。
どこかハンバーグよりも残念な1皿に感じてしまいます。
冷蔵庫の余り物のように、手元にある手段だけで作る何かは
目的が先行した何かと比べて情熱的に劣った印象を受けます。
「ご馳走」という言葉があります。
手間のかかっている料理を意味する言葉ですが
元の語源は京都の料亭などでは地物の食材を使う事が基本で、
生活圏内を超えて食材を調達する必要がある場合に走り回る。
それがご馳走の由来だそうで、まさに目的が先のパターンです。
余った材料で作るミートボールがダメとは言いませんが、
そこには確かな熱量の差を感じてしまいます。
あくまでこれは例え話なので、ハンバーグをアゲてる訳でも
ミートボールをディスってる訳でもありませんのでご了承を。
僕はハンバーグもミートボールも好きです。
ミートボール製造会社の皆さま、いつもありがとうございます。
そば屋のカツ丼
他の例えで言うと、メニューの多いラーメン屋です。
最初に作りたかったものは何なのか?
醤油ラーメンを作りたくて始めたお店なのに、
バリエーションの為に塩ラーメンや味噌ラーメンを作ったとして
それはどうしても醤油ラーメンには勝てない気がするのです。
ラーメン屋といえばサイドメニューに餃子やチャーハン、
鶏の唐揚げまではどの店でもよく見かけるテンプレですが
某チェーン店ではコロッケに白身魚フライに…
あれもこれもついでに作ったのでは?と思ってしまいます。
明らかに本命ではないメニュー。
どうせならそのお店ごとの一番自信のあるものを食べたい。
しかし、この世にはこれを覆すイレギュラーが存在します。
そば屋のカツ丼です。
そば屋は出汁を作るのでカツ丼の出汁にも応用が効き、
さらに天ぷらそば用の揚げ物技術が兼ね備わっているので
カツ丼を作らせると美味しい、という流れです。
同じようなパターンで、中華料理屋が作るオムライス。
中華料理は卵を使う事が多いので、卵料理の扱いに長けていて
チャーハンを作る要領でチキンライスを上手に作ります。
餅は餅屋と言いますが、その対義語がそば屋のカツ丼です。
本来の目的とは別のところで手段が活きる、的な。
手段と目的の入れ替わり
しばしば目的と手段が入れ替わる事があります。
一般的には良くない意味で使われるフレーズですが、
僕はこれが発生する事はとても素敵な事だと思っています。
醤油ラーメンのお店が作った味噌ラーメンが激ウマだとか
そば屋のカツ丼、中華屋のオムライス、
気合を入れて作ったご馳走よりズボラ飯が食べたかったり
収入を得るために始めた仕事そのものを好きになって
趣味や道楽の様になってしまう事とか、
映画のエキストラ役が主役より目立ってしまう事だってある。
そこから抜擢されて名脇役になったり…
偶然の産物、枠が先にあって埋める為に用意されたもの、
とりあえず必要だからとついでに、ノリで始まった事ですら
手段に寄り添った都合が功を奏して味を出す可能性がある。
これが冷蔵庫の余り物理論のポイントとなる考え方です。
創作活動においても、冷蔵庫の余り物理論を考えられます。
作る作品が目的なのか、作る事そのものが目的なのか。
作ってる間に手段が変化したり、もっと良い手段を見つけたり。
ゴールを定めて一直線な活動と、
ゴールの定まっていない紆余曲折な活動と、
きっかけはどうであれ、意図しない所から生まれる
手段と目的の入れ替わりが発生する時に芸術を感じます。
結果と過程どちらを重視したものか、
クリエイターか、アーティストか。
前者はお客様の視点、後者は職人や作り手の視点な気がします。
消費者と生産者の両方の視点を持つ事ができれば…
働きアリとサボりアリ
パレートの法則というものがあります。
アリの巣の中ではエリート働きアリと普通の働きアリが居て
さらに全く働かないサボりアリが居て2:6:2くらいの割合で
常にそのバランスが保たれ続けるというものです。
働きアリが疲れたらその都度役割を入れ替えて交代して
最も効率良く活動できる様に動いてるんだとか…
人間の社会も似た割合で回っているらしく、
少数のエリートと多数の凡人が適度なバランスで支え合っていて
それと少数のサボりアリがいて2:6:2の割合で社会が動いている。
役割という部分に注目します。
リーダーやサポーター、オーナーと従業員、指揮官と兵士、
ゲーム的に考えればタンク、アタッカー、ヒーラーなど
それぞれが与えられた役割に専念する事で社会が回ります。
ただ時々その役割が入れ替わってみても良いのではと思います。
それまで専念していた役割を崩すのだから当然回らなくなって
効率は下がるかもしれませんが一時的なものです。
他の役割への相互理解を深める事で更なる成長を望んだり
他の役割での経験が応用されて化学変化が起きたり。
現状維持だけでは見えない景色が見れる筈です。
一時的な効率の低下を代償に、突然変異を起こして進化する。
マイナスを受け入れて更なるプラスを取りに行く。
脱・健康オタク
健康は土台、と色々な所で耳にします。
何をするにしても健康であった方が良いのは間違いない。
だけど土台をいつまでも作り続けるほど愚かな事はありません。
健康自体はコンテンツではないのです。
土台ができたならその上に建てる何かを作るべきです。
いつまでも健康を保つ為に人生の時間を消費してしまって
ただ健康なまま何も成し遂げず死んでいくなんて悲しすぎます。
これは手段と目的が入れ替わっている顕著な例です。
それに気付いてから僕は健康オタクをやめました。
筋トレもランニングも辞めて健康とは逆の方へ向かいました。
ある程度健康であればちょっとやそっとサボっても大丈夫です。
不摂生な生活をしてみて、不健康になったらまた考えれば良い。
不健康な時のマインドも大切だと思うんです。
病気をした時だけ健康な状態の有り難さが分かります。
健康な時こそ病気をした時の不自由さを思ってみる。
不自由を味わった人は自由になった時の反動が強いです。
弱っている時の自分が本当に求めているものが何か気付ける。
雨が降っている時に晴れを思い、晴れている時に雨を思う。
今ある状態を反転させてみて、手段と目的を再確認すること。
僕の場合は上に何か建てるというよりは土台にダメージ加工して
ぶっ壊して再建するイメージですが、ぜひ真似しないで下さい。
おわりに
今回は動機、目的と手段、役割、
メインがあるからサブがある、的な事を書きました。
ハンバーグとミートボールの例で言えば、
最初から食材を余らせる事を考えて動ける人は
使う順番を変えてもご馳走を作れる筈です。
逆に余り物など考えず目の前の目標に一直線で、
余ったら行き当たりばったりで運に任せても良い。
手元にある手段を工夫して使う楽しさもあります。
ちょうど料理番組でスタジオにある食材だけで料理する様な。
目的と手段が入れ替わる事を恐れず、突っ走れば良い。
どんな行動だって意味なら後付けできる。
美味しければなんでも良いんですから。