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僕のdaydream

大人で品性があるように思われたいから一人称を<私>と言いたくなるけどまだ恥ずかしさがあるし、そんな心も大人じゃないから目上の人や文章を書くときは不満を感じならも<僕>を使っている。友達などは<俺>だ。でももし自分が一人称を<私>とできたらどんなに自分が理想とするかっこいい人になれるだろうと頭の中で大人と話している時や自分が舞台に立って講演会で話すときに一人称を<私>と使っている姿を「想像」する。自分の日常に不満があるのか、うだつの上がらない日々に対しての現象なんかで僕は本当によく想像や妄想、「空想」をする。

数年前のとある日、女子と映画を見に行くことになり何時から遊ぶか考えていた。その時に、もし昼から遊ぶことになったらご飯に行くことになるよなと思った時、「お会計」の場面でとても気まずくなると思った。まだ高校生なのだから女子に奢らなくてもいいのはわかっていたがやっぱり僕が全ては払いたくなくて相手に個人の分のお金を払うことを求めている時、お金を自分のだけ出している瞬間はものすごく気まずいだろうと思った。全部払えないことをみっともなく感じるために。

どうすればあの瞬間を気まずくならないように出来るか、どんな言葉や行動をすればいいかをシーンを事前に頭で何度も何度も「想像」したりしていた。結果的には気まずさを感じないための方法など思いつかず諦め集合時間を昼後に遅らせることで昼ごはんを避け会計の場面を免れた。遊びが終わった後も何度もどうすればお会計が気まずくならないかシーンを想像した。

遊んだ女の子は二次元のイケボ系界隈のオタクで⚪︎qrseとかのファンだった。前に「男で生まれても良かったとか思うことある?」と会話の途中で聞いた時その子は「小さい時の髪の短い写真とか見たことがあって、結構男でもかっこよかったと思うし、まあイケボに生まれたい」と言っていた。その子は「かっこいい声」が大好きだった。

僕はその子のタイプのようなイケボでもなく普通の声で、それが不満で、自分がもしイケボに生まれていたら僕はその子とどんな幸せな日々があったのだろうかと「想像」した。想像しないと現実への絶望で平常を保てなかった。色々な物語の展開ができて彼女との超絶幸せな日々が広がっていたが想像するにつれて現実との差に絶望するし悲しくにしかならなかった。



年上の人とのお会計の場面を「想像」していた。
僕は将来すごい人になりたい欲がある。まあ成れるわけはないのだが、もし、もし本当にすごい人になれたらきっと僕の好奇心旺盛な親戚の叔母さんは僕のことをご飯なんか誘って話を聞きたいと言うとある日思った。だから、次は年上と(男女問わず)ご飯に一緒に行ったらお会計時にどんな立ち振る舞いで行けばいいかを想像をした。

一つや二つ歳が違う人なら割り勘なのかもしれないがよっぽど離れていたら年下の僕は奢られるのではないかと思った。まだそんなよっぽど年上の人とご飯なんかに行ったことがないからわからないが傲慢さなしにそう思った。そこでおそらく自分が相手に完全に奢ってもらおうとしているなと感じ取られるのは良くないため、どんな行動、言葉を言えば平和に行けるのかを考えるべく、シーンを想像なんかして対策を考えていた。その時はあえて財布を出してすこし出す素振りをして相手に「いいよいいよ」と言われるのを待つのが作戦になった。



ほぼ毎日、日課になっているランニングの最中はよく「妄想」をしている。妄想の設定はこうだ。僕はバスケ部3年でチームのエース、身長は普通だがとんでもなくバスケが上手い。日本での活躍を見てアメリカのどっかの高校からヘッドハンティングかなんかで呼ばれて2、3ヶ月高校を不在にしていたがその後たまたま学校で1500m走の記録会がある時なんかに戻ってきてその時に身長が5、7センチ伸びて身長が180センチ近くなり、もともと体力があって持久力では他の人に常に勝っていたが日本に戻ってきた頃にはより持久力が上がっていて爆速で走ってタイムが高校の歴史を塗り替えるようなとんでもなく早いタイムを出す。

そんな妄想を走り初めの時に考えてやる気を出す。実際それを妄想するとものすごくやる気が出て、プラスで重低音のトレーニング曲を聴きながら走ると走り始めはとてつもなく気持ちよくなる。それなりの距離を走るため途中で妄想タイムが終わり、途中からは「音楽」がやる気のエンジンに切り替わる。



アニメ映画が好きで特に新海誠監督の「君の名は」が狂おしいぐらい好きでよくYoutubeで海外の人が「君の名は」を見る反応動画を見たり「君の名は」の挿入歌を聞いたりしてる。何回何回も見たし、聞いた。そしていつか自分も新海誠監督のようなこんな感動する美しい映画を作って見た人を感動させたいと思った。そのこともあってか、自分が実際にすっっばらしく感動する映画を作り、それが歴史的な大ヒットして日本だけじゃけなくて世界中でヒット。ひたすらヒットヒットヒットヒットヒット・・・。

映画上映会なんかで僕が舞台に立って観客の人たちはみんな滝のように涙を流しながら赤い声援があってインタビューで「いやー大変でしたね」なんて言っちゃって。有名になったらと思ってサインを考えたりしてて、自分のサインはなんと漢字なんだ。サインはみんなローマ字とかだけど周りと同じじゃつまんないじゃないか。こんな欲にまみれすぎな妄想も何度も。



「不安」であったり「理想」などが空想(想像&妄想)を生み、問題に対して解決法を見つようとしたり、劣等感のようなものを埋めようとしたり、気持ちよくなろうとしたり。だが理想に対して起こる空想は現実との差で辛くなるばかりで現実の自分への肯定感が低くなる。僕は自分の「こうありたい」という姿が影を作り溺れている。




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という感じで今回は空想が大好きで溺れている人を(フィクション)を書いてみましたー!こんにちはNariです。いやー物語を書いたのは久しぶり(以前の物語の文章はNoteで公開していたが引っ込めました)だったので大変でしたー。これからまた文章を書いていくかもだし、次に書く文章の活力になりますのでぜひ「スキ」の方をお願いします!では!

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