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絶対死なない

こんにちは、めるりです。

このnoteは時系列順に逆境体験を書いていくつもりだったのですが、なんとなく、今書きたいことを2回に分けて文章にしようと思います。

前回のnoteの続きも随時公開しますが、気まぐれなので、飛び飛びになるのはご容赦ください💦



「絶対死なない」



これは、5年前から私が心に決めていることです。
不死身ではないのでいつかは死ぬことは分かっていますが、それは1番遠い未来であって欲しいと思っています。
今回は私がその決意に至った経緯を書きます。



2020年11月26日。

私は当時、長野県の旅館で板前をしていました。

その日は普通に出勤をしてお刺身の仕込みをしていました。そんなに忙しい日ではなく、日常の一コマのような日でした。
そんな日常を遮るように電話が鳴ったのは、休憩まであとひと踏ん張りという12時2分。すぐに気づき、画面を見ると在園していた施設の職員さんからでした。

なぜか心臓が大きく鳴って、とても嫌な予感がしました。第6感があるのなら、あの時の胸騒ぎのことだと思います。

職員さんは電話越しで取り乱しながら

「落ち着いて聞いて欲しいんだけど。○○(兄の名前)が電車に轢かれちゃって。今意識不明で病院に運ばれてて。私達も詳しい状況は分からなくて。とりあえず、何か分かったらすぐ連絡するから。」

と伝えてくれました。

頭が真っ白になって、何が何だかよく分かりませんでした。
「分かった。」としか返せませんでした。

なんとか午前の仕事を終わらせ、フラフラと休憩室に行きました。



何か情報が欲しくて、Twitterを開いたら兄の住む最寄り駅で人身事故が起きたニュースが目に入りました。

「あぁ、これだ」

と思い絶望したことを覚えています。


兄は3歳年上で、北海道のいいホテルの料理人でした。
3年務めていましたが、職場のストレスから統合失調症を患い、半年前の5月に自殺未遂で措置入院していました。

措置入院した際、私にも連絡が来たのですが、コロナのため長野から東京に行くことはできませんでした。

その時は、みんな気楽に話していました。兄が書いた遺書をみんなで読んで、兄は「恥ずかしいからやめて」と笑っていたくらいです。

その後、無事に退院して、障害者手帳を取得して少しずつ社会復帰を目指していました。

今回の電車に轢かれたのはそんな時の事でした。



休憩室で呆然としていると、職員さんからもう一度電話が来ました。恐る恐る出ると

「ごめんね、める。ごめんね。お兄ちゃんダメだった。ごめんね、私何も出来なくてごめんね。」

と言ってひたすら泣きながら謝ってくれました。

私は「○○(職員)さんのせいじゃない。伝えてくれてありがとう」と

なんとか絞り出して電話を切りました。

悲しくて、悲しくて、なんだか怖くて。でもどうしたらいいか分からなくて。

物凄い寒さを感じて、休憩室でただ震えていました。

その時、たまたま仲のいい同期が休憩室に来て、私のただ事ならぬ空気を察し、「なんかあった?」声をかけてくれました。

「施設の職員さんから電話きて、さっきまで大丈夫だったの。でも今もう1回電話来て、お兄ちゃん死んじゃった……………」

と言ったものの、自分で言葉にしたことで一気に悲しみが押し寄せてきてそのままぐちゃぐちゃに泣きました。

間違いなく人生で1番号泣した日です。

同期は、何も言わず、ただずっと私の手を握っていてくれました。

1時間ほど泣き通して、ふと我に帰りました。

「東京行かなきゃ」

慌てて仕事着を脱いで荷物をまとめました。

同期が「こっちのことは何にも気にしないでね。
力になれることがあったら言ってね」と声をかけてくれて何とか立ち上がることができました。

会社を出て、そのまま東京に向かったのですが、何度か行き来きしている片道4時間が、本当に長く感じました。



今日はここまでにして、あとは次回書きたいと思います。

改めて過去を辿るだけで本当に苦しくて悲しくなるのですが、私は書きたいし、伝えたいと思っています。

誰もが何かを抱えていて、その辛さや痛みは他人と比べるものではないし、これを読んでくれた人でも、私の痛みを知れても感じることはできません。
それは、もちろん私から他者へも同じことです。

だからこそ私は全ての人に優しく在りたい。

読んでくれた人にも優しさが届きますように。

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