未来はどうなるのでしょう?
note を始めてはや5か月が過ぎました。夏至の日に始めたnoteは、あっという間の今日であり、月日の過ぎ去る速さを実感しています。
基本、毎日書こうと思っていまして、無理のない程度にですが、日々の
畑日誌としてメモ代わりにもなりますし、頭の活性化にもなり、書いているその時だけでも、自分の意識状態が普段とは異なっていることが実感できまして、そのような時間が好きですのでどうにか続いています。そして読んでくださる方々があってこそのnoteです。いつもありがとうございます。
noteの面白いところは、現実世界ではあまり交わる機会がない方々のお考えを知ることが出来ること。その方々のページを訪問すると、このような考え方もあり、このような世界も存在していて、その人柄もなかなか印象深くて、みなさん、迷いながらも正直にまっすぐに進んでいらっしゃって、その在り方に勇気をいただくことがありますね。
生物多様性とは人間社会にも言える言葉ですよね。人の数ほど考え方があり、その立ち位置からすればそれはそうなのかもしれないと思われ、ちょっと時間を置いてそのことを考えることもありますね。そこにはいろいろな気付きがあり、それに教わることも度々で、暮らしの工夫が随所に感じられると感動することもあります。
語るのはいつもの友人知人ご近所さんで、行くところも大体同じようなところで、型にはまった暮らしを繰り返している日々ですから、たとえウエブ上であったとしても新しくできた様々な繋がりは有難いものです。
そして、その繋がりにはある種の意味があるとも思っていまして、それは
世の中には偶然など存在しないと考えているからであり、皆さまのnote から
さまざまな知恵を拝借し、どういうわけかわかりませんが、知りたかったことや必要なことを読むと、私にとってそれはタイムリーであり、気付きであるのです。
また、ずっと憧れていた暮らしをしている方々を見ると、里山とは比較にならないほどの自然の中での暮らしは羨ましくて、厳しさの中で楽しんでいらっしゃる余裕は、満ち足りた心と豊かな時間を表していますね。
私は絵画芸術には縁がなく、美術館に行って絵を見るときの基準は、その絵が好きかどうかだけであり、その絵を家に持ち帰りたいかどうか、部屋に飾りたいかどうか、今まではこれだけで絵を見ていましたが、noteで絵についての知識が少しずつ増えてくると、絵を見るその基準が少し変化したように思え、美術館が空いているときにいつか出かけて行きたいと思っています。
パソコン一つで世界が広がりました。世代を超えた繋がりは愉快で楽しいものです。仮想現実という言葉が何を表しているのかよく知りませんが、noteで繋がっている方々とは、たとえウエブ上であったとしても、繋がりは真実のもの。
電波がテレビやラジオの周波数を乗せて空間を満たし、チャンネルを合わせれば家でテレビが見れるように、パソコンやスマホの電波の周波数は、私の記事を乗せてそこら中に存在していて、noteの私のページをクリックすればそれを見ることが出来るという、20年前の立ち位置から考えると信じられないことが現在の日常で起きているというこの事実。
これから先のデジタル世界のことは私の想像をはるかに超えていくことでしょう。全く見当が付きません。パソコンに詳しい方のページも見ていますが、それはもうわかるわからないのレベルにも程遠く、それでも毎日目を通して、雰囲気だけでも味わっているという状態です。
電波がどのような周波数を乗せて空間にあるかを考えれば、ピアノの演奏を聴いていて、その演奏に奏者の考えのどのような周波数が乗っているかで合う合わないか、その演奏が好きか嫌いか、が決まっているように思える昨今です。相性ってありますよね。
今のこの便利すぎる現実を予測できる人などいなかったことでしょうし、メタフィジカルで怪しげなスピリチュアルなことが、電磁場や周波数を紐解くことで明らかになってきています。未来を考えるとき、どこまで明かされるのか、興味津々です。
私の身体と心はどのような周波数を発しているかと、noteを書きながら思っています。明るく楽しいサウンドで響いてほしいですね。
不思議を感じながら、道に迷いながら、それでも生きていて良かったと思いながら、今生の生を十分に味わいながら、畑を楽しむ日々です。自然に感謝です。
お読みいただきありがとうございました。