遺伝子情報はただの楽譜 演奏は自由にできる
今日は素晴らしい夕陽でしたが、その時刻には知人と車で走っていましたので、同じような夕陽を見つけ、それが今日の見出し写真です。昨年の11月の夕陽です。今日の夕陽では薄い雲が鳥のような形をしていましたね。
今日の畑、アフリカンマリーゴールドにいたオオハナアブです。
今日は畑の空いているスペースに花の種を蒔きました。
畑に種を蒔きながら
来春きれいに咲いているお花の姿を思い浮かべ、
きれいに咲いてねと念じながら、
この半年の期間に土の中で何が起きるのだろうと考えながら、
時間っていったい何なのだろうと思いながら、
種の不思議さを感じながらの種蒔きでした。
この小さな一粒の種の中にすべてがプログラムされているのですよね。
種って本当に不思議です。
キンセンカの種からコスモスが咲くはずはなくて、見かけは同じような種であっても、春になって芽を出すもの、秋になって芽を出すもの、その違いは当然すぎて何の不思議も感じませんが、ふと、あの小さな種一粒は一体どうなっているのかしらと不思議に思い始めれば、迷路にはまり込んでしまいます。
最近聞いた話では、遺伝子情報はただの楽譜であるということ。それをどのように演奏するかは演奏者に任されていると言います。演奏するときに、ここを強くして、この部分は溌溂と、ここは穏やかに、そして終わりはスピードを上げてなどと、演奏者は自由に変化させることが出来、それと同じで、遺伝子情報はその人の演奏の仕方次第で変わって来るということ。その人の心で自由にある程度は変化を起こすことが出来るそうですよ。出てきましたね。思い、心、感情です。
そのようなことをぼんやりと考えながらの種まきでした。来春が楽しみです。来年の畑が待ち遠しいですね!
今日の収穫です。
お読みいただきありがとうございました。