霧の中を歩いているような日々
早いもので、
9月に入ってからもう4日目だ。
一昨日は、地域の例祭だった。
幸い、雨に降られることもなく、
お祭り日和となった。
毎年、獅子舞や笛の音が聴こえる時期になると、
“あぁ、秋が来たんだな。”
と感じる。
今年もすでに、3分の2が終わったのだと思うと、
時間の過ぎていくはやさに驚かされるばかり。
ほんとうにあっという間に
時が過ぎていく。
時間は有限。その大切な時間を、
自分の人生のために、
自分らしさを活かして人の役に立てる自分になるために、
使っていきたい。
今も、ブログを毎日投稿することの他に、
一日1,000文字程度の文体模写、
毎晩の一言日記を続けている。
そのほか、不定期で、
エッセイコンクール、ネーミング募集などの応募案件に応募している。
8月21日から昨日(9月3日)までに、8つの応募をした。
前回のコーチングセッションが、8月20日。
次の予定が9月25日。
それまでに、10件は応募すると決めていたから、
このままのペースで行けば、
決めた以上のアクションができそうだ。
あとは、
クラウドソーシングなどで、
報酬の発生する、ライターの案件などにも応募してみようと思うのだが、
そちらには、どうも気持ちがのらないままだ。
書くことを仕事にする…
という理想世界から考えたら、
0→ 1の実績をつくるためのアクションとして、
ライター案件に応募することは、
今やるべきことだとだとは思うのだが…。
これは、自信のなさや不安からくる逃げなのか…
それとも、
自分の心が踊らない領域だから
そうなるのか…。
エッセイや、コピーライディングのようなものは気持ちがのるので、
まずは、気持ちが動くものに対して
アクションしていこうと思う。
エッセイなどの応募で、入賞できたりしたら、
これからの可能性を拡げてくれる実績にもなるだろうから、
コツコツチャレンジしていくつもりだ。
最近、分からなくなることがある。
私は、
書くことによって、
把握したり、整理することがしたいのか…
それとも、
書くことによって、
表現がしたいのか…
まぁ、いずれにしても書くことが手段になっているわけだがら
どちらでも良いのだが、
ただ、
はじめは、
整理したり把握したり分かりやすくしたいというのが、
私の欲求だと思っていたのに、
この頃、自分の中に、
表現したいという欲求もけっこう大きく存在しているような気がしてきたのだ。
それは、なぜそう思ったかというと、
音楽をやっているときに、
心が踊る自分がいるから。
今月はじめに、
ジャズバンドで演奏させてもらう機会があって、
みんなで演奏している時間が、とても楽しくて、
それで、
“私は、表現したいのかも。”
って、思ったのだ。
書くことも、表現の手段としてやりたいんじゃなんじゃないか…
と。
となると、
書く時に、
創作的な部類のものに気もちが向かう事にも
うなづける。
取材して記事を書くとか、
決められた題材について調べながら書くというものよりも、
エッセイスト、
コピーライター、
小説家、
のような物書きを目指したら良いのかもしれない。
…なんて、言うのは簡単だが、
どれも、現状の外側過ぎて、
気が遠くなってしまうのが実情。
でも、
不安になって諦めたり、
足を止めてしまうのではなく、
とにかく続けてみるつもりだ。
不安は行動で掻き消す。
分からないながらも、
迷いながらも、
行動を続ける事で、
また、
見えてくることや気づきがあるだろうから。
今は、深い霧の中を歩いているような日々だが、
気づいたら、霧が晴れて、
目の前にハッキリとゴールが見えてくる…
そんなときが来るのを信じて、
進んでいこうと思う。