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続・津軽日記(1)

太宰治「津軽」巡業(2024/9/25-9/27)

太宰治の小説「津軽」をもとに青森・津軽をめぐった2泊3日の旅。
その旅の軌跡をささやかながら記したいと思います。

9月24日 22:10東京駅発の夜行バスに乗って青森県・弘前市へ。
大学生にとっての1番の悩みの種は、いつの時代もお金。我々一行も当然極貧生活を送っており、いかに交通費を抑えるか検討した結果、深夜発の夜行バスで向かうことに。なかなか眠りにつけなくて、ようやく寝るコツを掴みかけて来た矢先、バスが岩手県のSAに到着し、目が覚める。確か早朝3時ごろの出来事。ウォーターサーバーから出てきた白湯が身に染みた。

9月25日 6:30頃に目的地の弘前に到着。厚着を着てきて正解と思えるほど、青森の朝は冷え込んでいた。当初の予定よりも早く着いたこともあり、8:00予約のレンタカーまでは弘前周辺を散策することに。弘前城まで徒歩で向かい、城内を一周した。時間が早すぎたため天守閣内には入れず。

11:00 青森市着。8:00になって無事レンタカーを借りて、最初の目的地の蟹田に向けて車を走らせた。時間はたっぷりあったので道中の青森市内を観光することに。三内丸山遺跡を見学し、アスパムという三角形が特徴的な建物で昼食&展望台から眺望。その後青森市近代文学館と文芸のこみちを訪れ、ここで初めて青森の地で太宰と謁見した。文芸のこみちでは、「津軽」の最後の台詞「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」が刻まれた文学碑を発見。

文芸のこみちで見つけた文学碑。「津軽」のラストが綴られている。

16:00 蟹田・観覧山着。いよいよ本格的に小説の軌跡を辿る旅が始まった。最初に訪ねたのは「津軽」においても一番最初に描かれていた地、蟹田。それから、観覧山。作中において、太宰はこの観覧山について次のように書き綴っている。
「観覧山。私はれいのむらさきのジャンパーを着て、緑色のゲートルをつけて出掛けたのであるが、そのようなものものしい身支度をする必要は全然なかった。その山は、蟹田の町のはずれにあって、高さが百メートルも無いほどの小山なのである。けれども、この山からの見はらしは、悪くなかった。その日は、まぶしいくらいの上天気で、風は少しも無く、青森湾の向こうに夏泊岬が見え、また、平館海峡をへだてて下北半島が、すぐ間近かに見えた。」(太宰治「津軽」、新潮文庫、p53より)

太宰一行はこの観覧山で花見をすることになるのだが、この場面で太宰が吐露した「本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。」という台詞がたまらなく好き。

山頂に着くとここでも文学碑を発見。「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった!」という「正義と微笑」からの引用が佐藤春夫の手によって彫り込まれていた。

観覧山にて。文学碑には「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった。」との文字が。

その後、蟹田のスーパーで晩御飯の買い出しをすることに。すると、たまたま立ち寄ったスーパーの店長さんがなんと作中に登場するMさんの親戚であったという偶然の出会いが!店長さんに記念のチェキを撮ってもらいスーパーを後にした。太宰の故郷に来たという実感がここで一気に湧いた。

その後外ヶ浜地方をゆっくりと北上し、「義経海浜公園」にてテントを設営。道中、作中にも登場した三厩・今別などの地名にも遭遇し、三厩の温泉に立ち寄ることに。しかし、一同誰も石鹸を持ち合わせていないというハプニングが発生!(笑)その日は石鹸で洗わずに寝ました。
個人的に人生初のキャンプだったので右も左も分からなかったが、友人がテントやら調理器具やらをすべて準備してくれて無事うまくやり遂げられた。本当に感謝。23:30頃寝床に入ったが、寝心地はお世辞にも良いとは言えず、結局二日続けて寝不足のまま二日目の旅へ。。。(「続・津軽日記(2)」に続く)

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