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死のうとしたけど意外と死ぬのは難しかった話
ここ数ヶ月間ずっと死のうと思っていた。ずっとと言っても1週間に1-2回のことであるが。
世の中のどれぐらいの人が死のうと思ったことがあるのだろうか。
ある調べでは人口の2割程度が死にたいと思ったことがあるらしい。
ただ疑問に思うのは、私も今までの人生で何度も「死にたい」と思ったらことはあるが、「死のう」としたことはなかった。
希死・自殺念慮と自殺未遂というのだろうか。
おそらく自殺念慮は人口の2割ほどはいても、自殺未遂や自殺企画をした人はそれよりも少ないのではないだろうか。
さて、人生に行き詰まり苦しさを感じた私は遂に自殺念慮を通り越して、もう明日を迎えたくないと思ってしまった。
しかし、それからというものの、また新たな苦しみに直面した。
それは
意外に死ぬのは難しい
ということだ
自殺念慮で止まっている時には
「死のうと思ったら、簡単に死ねる」と考えていた。
おそらく、皆さんの中にもそのように考える人は多いのではないだろうか。
命を断つ行為そのものすら怖くなくなるほど、精神が磨耗している状態。
そんな状態だからこそ、自殺に至る、と考えていた。
しかし、現実にはそうでもなかった。
いざ自殺をしようとすると、意外と怖いものだ。
この怖さは
明日を迎えられない怖さ
もう目覚めない怖さ
などではない。
単に死ぬ過程が怖いのだ。
いざ実践しようとしてみると、自殺の手段はたくさんあるが、どれも死に至るまでにおそらく相当な苦痛を味わう。
生きていることの苦痛から死にたいはずなのに、なぜか最後まで苦痛と過ごすことになっている、生物は非常に厄介な作品だ。
飛び降り自殺をしようと思ったものの、いかんせん高所恐怖症な私にはどうにも向かなかった。
次に、車通りの多い大通りに赤信号で飛び出してみたものの、奇跡的に車が来なくてすり抜けてしまった。単に信号無視とおそらくスピード違反を犯しただけになってしまった。
よくあるリストカットというものも、なんだか辛そうだ。
キッチンに立ってみると、包丁が毎日目に入るが、切腹がいかに苦しい自殺方法かというのは、本で読んだりする。不思議と、包丁をみても自殺願望を増長はされなかった。
とにかく、私は人生に絶望をしたし、もうこの世に楽しいこともないと思って自殺をしようとしたが
いざ思い立ってみると
命を断つことは意外と難しい
という新しい発見にであった。少し奇妙だが、少し楽しい気もした。
元々、知的好奇心は高い方で、哲学書や科学書も好きだし、仕事もそれに属するような職についている。
しかし、「死」というものを真面目に考えるだけでなく、実体験することで見える世界もあることに少しの楽しさを覚えた。
そこで私はこのnoteを書き始めようと思った。