とある経営者との人生のはなし2
ハロー!るでぃです。続きます!
前回「不安への向き合い方を聞いたはなし」をしました。
その次に聞いたのは、
「選択の不安材料として"利益"をどこか考えてしまう、どうしているか?」
ということだった。
どうしても生活は奉仕精神では生きていけない。
搾取されるばかりでは、疲弊して枯れ草のように人生が終わってしまう。
そんなのイヤだ。
「この選択では時給1000円、でもあっちを選んでいたならもっと豊かになっていたかもしれない」
「あの選択ならこういう実績や恩恵も受けれたかもしれない」
それは少しでも、損をしたくない一心で。
その考えが不安を呼んでしまっていても、つい考えてしまう。
そんなとき、こんな話が返ってきた。
「仏教の話になるんだけど、仏って亡くなった後の姿を想像するでしょ。」
「でも実際仏教では、"成仏"と言って世の中の悟りに目覚めるということ。」
「人間誰しも欲があって当たり前、
自分自身に勝ち、生まれながら持つ歓楽を感じれば幸せ。」
少し肩の荷が軽くなったように感じた。
利益ばかり考えてしまう自分自身に、後ろめたさを感じていた。
それを「当たり前のこと」と受け止められたこと、
また高みばかり追わなくても、幸せという言葉に、
決断のハードルがカタンと落ちたような気がする。
またこのような言葉もいただいた。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。」
帰って調べると日蓮宗のことばみたい。
言いたいことは、
お金のような、目に見えるものよりも、資本になる身体を大事にすべき。またそれよりも経験やご縁の大切にするような心の豊かさを大事にすべき、ということ。
彼女は行動量も凄いが、
ご縁で引き寄せられたものも多いように感じた。
きっとそれは彼女自身が"ご縁"や"思いやり"を大事にしてきたから。
社会の肩書きだけでメリデメを考えるのではなく、
その人にどのように付き合ってあげるか、助けてあげられるかを考えてきた結果のなのかもしれない。
その結果のいまの人脈だし、人生の波乱万丈を生み出してきたんだと思った。
実体験からなる言葉の重みは凄い。
わたしみたいなちっぽけな存在でも刺さる。
いまは目の前のことで精一杯で、
なかなか全然、そんなことを考えられる状態にはなれてないんだけども。
それでも、目の前の助けられることや、やれることにしっかり向き合う、
ある程度の現実を受け止めながら。
機械のような短絡的な思考ではなく、人間らしく血の通った振る舞いを心掛けていけたら。
最後にこんな素敵なことばももらったので、紹介する。
LINEでいただいたことば。
「自分は単なる石ころに見えるけど、磨けば光るダイヤの原石。
磨かなきゃ損でしょ。
ダイヤなのだから毎日百点満点と自分を褒めて進みましょう、
そして人生において、壁こそ成長のチャンス。
サーファーの如く悠々と乗り越える境涯を作ることが幸せのもと。」
あなたはこの名言の数々、どう感じますか?
ぜひコメントお待ちしてます。
(※支援もお待ちしてます☆)