作文大嫌いだった人間が小説を書くようになりました
序文:しがない小説家志望です。どうも
こんにちは。あるいはこんばんは。はぷにんがーと申します。某小説投稿サイトにて7万字ちょいの小説を連載している者です。
そんなワタクシですが、小学生~中学生の途中までは大の作文嫌いでした。というか長文が書けない子でした。
当時の自分からは想像もつかなかった今の趣味に、どのようにして辿り着いたのか。ちょろっと書いてみたのがこのnoteです。
全国の作文嫌い/書けないで苦悩している子たちよ。案ずるな。お前さん達も書けるようになる。
このnoteが少しでも作文嫌い脱却の手助けになりますように。
(※あくまで個人の体験談ですので、ほんと参考程度に読んで頂ければ幸いです)
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1:作文嫌いの頭の中
作文の何が嫌って『指定の文字数以上書かなければならない』という制約が非っっっっっっ常に苦痛だった。
書きたくないのではなく、書けないのだ。don’tではなくcan't。これを分かってくれる大人は結構少なかった。「何が難しいの!?」と親にヒステリックにキレられてしまった日には、ボクの作文嫌いは止まらない。加速する。
「自分が思った事を書けばいいんだよ!」なんて雑なアドバイスをかけられても、感想 = 楽しかった/美味しかった/面白かった、の単語でしか表現出来ず、どーーーーーしても長い文章を錬成出来なかった。
例えば。
小学校で運動会をやり、それについての作文を課されたとしよう。
当時小学生だった自分は、400字詰めの原稿用紙に向き直り、とりあえずマスを埋めに掛かるのだが……….
『〇月×日に運動会をした。
自分の紅組が優勝したのでよかった。
楽しかった。』
これ以上の言葉が出てこないのである。文字数は実に35文字。原稿用紙の2行も埋めることが出来ない。
しかし、宿題として課されたのは「原稿用紙2枚以上」という制約。
2枚? 800字書け? 正気か???
少年はあまりのハードルの高さに匙を投げた。
いいじゃん35文字で。楽しかった。それが何より一番大事で、それ以上語る必要がありますか?(反語)
そう先生を説得しようとしても、さぼろうとするな、とお𠮟りを受けた。ちゃうんです本当。書くのが面倒なんじゃなくて書けないんです。
しかしその後、居残りをさせられた教室で、体を揺らしながらうんうん唸っている自分の姿を見て、あっこいつ本当に書けないのか、と悟ってくれた先生。
すぐさまマンツーマンで指導をしてくれた。
「何が楽しかった?」
「何が…..? …..運動会?」
「そうじゃなくて….. じゃあさ、運動会の中で、一番印象に残ったのは?」
「………大玉転がし?」
「大玉転がしね。そのことについて書いてみたらいいんじゃない?」
なるほど!種目についての感想!そうやって文字数を稼げばいいのか!
天啓にも思えるアドバイスをもらい、これ幸いと再び原稿用紙に向き直る少年。
そして出来上がった文章がコレ↓
『〇月×日に運動会をした。
自分の紅組が優勝したのでよかった。
楽しかった。
大玉転がしをしたが、大変だった。』
文字数は51文字。800字には到底及ばない。少年は頭を抱えた。先生も頭を抱えていた。
で、結局どう乗り切ったかと言うと、運動会の全種目についての感想(大変だった/面白かった/つまんなかった等の小並感オンパレード)と、お弁当の中身や友人との会話など、覚えている限りの記憶を淡々と書き連ねるという、あまりにもなゴリ押し戦法を駆使し、どうにか2枚の原稿用紙を埋め尽くすことに成功した。
ちなみに評価はもちろんC(最低評価)。未提出(D:評価不能)よりかはマシだったが、イベントを経るごとに毎回毎回このくだりをやらされるのは非常に苦痛だった。
そんな小並感な作文を錬成し続けること6年間。
小学校を卒業し、中学へと上がった自分は、ある時期を境に、急に作文が苦ではなくなった。
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2:ライトノベルとの出会い
中学でも1年ほど『事実のゴリ押し戦法』でどうにかやり過ごし、迎えた新学期。
2年に上がったタイミングで、小学校から変わらずつるんでくれていた友人が、ライトノベルを貸してくれる事になった。
(参考:ライトノベルを読もうと思った経緯)(←過去記事に飛びます)
この本は実に面白かった。興味深いとか、感動したとか、そういう意味だけでなく、『笑い転げるほど面白い小説』だったのだ。
言うなれば「作者が日本語で遊び倒している」ような、そんな感じの話。日本語であそぼLv.70ぐらいあったと思う。
ハリーポッターのような息をのむほどの壮大な世界観ではなかったが、ホグワーツの連中に引けを取らない濃いキャラクター達の、とんでもない一挙手一投足が丁寧に描写されていて、その丁寧な描写が本当に面白かった。
キャラクター同士の掛け合いは勿論のこと、地の分で表現されるツッコミどころ満載の状況、そこを好き放題引っかき回す主人公たち、えぇぇぇお前そんなことしちゃうのぉぉぉ!?―――少年はカオスという概念をこの本から学んだ。
文字を読んでいるだけなのに、なぜこんなに面白いのか。少年は時折腹を抱えながら、夢中で読みふけった。
マンガもゲームもケータイも没収されていたが、それらが気にならなくなるぐらいの勢いで読み進めた。
今まで読書なんてしてこなかった事が嘘のように、丑三つ時をぶっちぎってまで読み進める日もザラにあった。
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3:執筆の始まり ~おかわりが欲しくて~
そんなハイペースで読み進めた少年は、あっと言う間に既刊を制覇してしまったのでした。
ちゃんちゃん☆
「………..続きはッ!!?!?」
巻末の発行巻を確認する。
今読んでいるのは10巻。
そして、最新の巻は…….10巻。
つまりどういう事か、少年は理解してしまった。
この物語は、作品としてはまだ続くが、続きのお話は、まだこの世のどこにも存在していない―――という悲しい事実を。
気が狂うかと思った。
来週もまた見てくれよな!と言って、画面の中から去っていくアニメの主人公達とは話が違う。彼らは1週間後の同じ時間に会うことが出来るが、この物語に関しては、いつ続きを読めるか分からないのだ。
これまでの発刊パターンも確認した(ここまで調べるの今思えば禁断症状じみていてちょっと怖い)。どうやら3~4ヶ月のペースで更新されているようだが、3ヶ月後にちゃんと新刊は出るのだろうか。
というか、え? 最低でも3ヶ月待たなきゃいけないの?
どう過ごせってんだ!!?夏休みも横たわってんだぞ!!!!?!!?
なんて思いながらゴロゴロ部屋を転げまわるも、現実は変わることも無く。
対症療法として、既刊を1から反芻する事にしたが、あっという間に限界はきた。どんなに面白い物語でも毎日読めば飽きてしまう。
別の面白い本を探そう、と思い立ち、学校の図書室に籠ってみたりもした。が、似たような文体、濃いキャラクター、面白い世界観の作品には出会えなかった。
誰もかれも、日本語で遊んでいない。もっと遊び倒している文が読みたい。ケイオスでインタレスティングでビューティフゥ-な、腹を抱えて笑える『日本語であそぼLv.100』みたいな物語は無いのか…..!!
そんな切実な試行錯誤を繰り返すこと2週間ほど。
自室で天啓を得た。
「そっか。自分で書けばいいのか」
机の上に広げた、(本当はそこに英語の宿題をやる予定だった)白紙のノートを見て、思い至った。
そうだ。ここに、オレの、オレによる、オレの為の物語を創ろう。
食べたい料理を自分で調理するように、自分が読みたい物語を自分で調達すれば、それで万事解決ではないか!
思い当たるや否や、少年はその(本来なら英語の宿題をやるはずだった)ノートに、自作の物語を書き連ね始めた。
登場人物同士の会話しか存在しない、世界観も設定も全然練られていない、今思えば拙い物語を。
―――いや、当時も拙いと感じた。
「なにこれツマンナ」
自分で書いた物語に顔をしかめる中2男子。ずぶの素人が書いた文章だからその通りなのだが、あまりにもコレジャナイ感が凄かった。オムライスを作ろうとしたら黒焦げのスクランブルエッグが出来ました、みたいな。もはや物語として成立してないだろコレ、ぐらいのクオリティ。
しかし少年はへこたれなかった。
何せ、残された希望はこれしかなかったから。新刊が出るまで最低でも3ヶ月。そんなに待てない。しかし自分で創らなければ供給は無い。
背水の陣でがむしゃらにノートに書き殴る中、彼はふと疑問を抱いた。
「…..なんでこの本はこんな面白いんだろ?」
騒動の発信源、自分が続きを熱望しているライトノベルを手に取る。この本は間違いなく面白い。
しかし自分が書いた話は、びっくりするぐらいつまらない。ていうか読みにくい。続きを書こうとしても詰まるし。無理やり書いても面白くないし。
何が違うんだろう―――そう思い始めてから、手元の愛読書が、研究対象へと変化した。
「なるほどこんな言い回しをしているから面白いのか。あーこのキャラはこういう性格だからここでこんな言い方をして、でも根はいいやつだからちゃんと面倒は見ていて….なるほどなるほど?」
独り言をぶつくさ呟きながら、得たノウハウを自分の物語にもふんだんに取り入れてみる。
面白かったらそのまま採用し、面白くなければ消して、再度ライトノベルとにらめっこ。知識を新たに得たら再度ノートに向き直って……….
そんな事を無限に繰り返していた(宿題やれ)。
あれから時が経った、今なら分かる。
この『小説を研究して』『実際に使ってみる』行為が、自分の中で『日本語の使い方の練習』の経験値として蓄積されたんだろうな、と。
いわゆる『語彙力』を鍛えたんだろうなと。
そして、拙いながらも少しずつ物語を組みあげ、一人で読み返してはニヤニヤ出来るぐらいのクオリティが書けるようになったころ。
知らず知らずのうちに鍛えていた語彙力が、思わぬ効果を発揮した。
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4:ノルマクリア余裕
夏休みの読書感想文。これを書く際に、変化があった。
今までだったら本を読んでも「面白かった#小並感」で完結した感想が、どんな物語なのかの概要を説明しようとしただけで、原稿用紙の1枚を消費しかけたのだ。
言葉が、単語が、言い回しが、頭の中からスラスラと出てくる。
試しに好きなだけ書いてみたところ、文字数はノルマを裕に超えた。途中で書くのが物理的にしんどくなった頃に、小学校の先生方から口酸っぱく言われたアドバイスが脳裏をよぎった。
「エピソードは絞れ」「一番印象に残ったことを中心に書け」と。
アドバイスの意味をようやく理解したし、それを実行するだけの実力が、確かに身に付いたことに気付いて。
夏休みの自室で、一人ほくそ笑んだ。
この年、宿題忘れの常習犯だった中学生男子がまず最初に終わらせた宿題は、一番の難敵と思われた「読書感想文」だった。
また、文章を書く系の作業は、一切苦にならなくなっていた。
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終文:後書きとも言う
以上、作文大嫌いっ子が作文大得意になるまでの話でした。
執筆の趣味は高校に入ってからも続け、語彙力も成長を続けたからか、高校の頃には反省文をわんさか書く事になっても余裕綽々で書き連ねるぐらいにはたくましく成長しました。やったぜ。
まず反省文を書くような失態をするんじゃないってね。余談でした。すみません。
小学生の自分が、執筆を趣味にしている今の自分を見たらなんて言うでしょうか。きっと「正気か!?」という事でしょう。もしかしたら正気じゃないかもしれない。
大っ嫌いなことでも、なにか変な事(?)をきっかけに好きや得意に転じる事もあるんだなぁと、そんな感じのお話でした。
好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、皆様も趣味や好きな事は大事になさってください。
知らないうちにとんでもない経験値を積んでいて、いつか思わぬ形で才能が開花するやもしれません。
かくいう自分も、執筆を今も続けていますが、着実に成長を続けていればいいなぁ―――
なんて思いながら、今日も粛々と物語を紡ぐ、ワタクシはぷにんがーと申す者です。
ご精読ありがとうございました。