タカクのやつ

なんないろいろ。基本見られてないものとします。 ※ここに書かれていることは全てフィク…

タカクのやつ

なんないろいろ。基本見られてないものとします。 ※ここに書かれていることは全てフィクションということで。 コメントもちろんおけです。

最近の記事

創作齟齬

常日頃良く創作を共有する方々とは創作に関して上手く噛み合わない現象が起こる。これは数年続いており今も尚継続中である。これは双方のエンターテイメントに関する消費?創作の仕方?の違いにあると考えた。また自分がただ人とズレてるだけというのも考慮した上で自分なりの分析を行った。 エンターテイメントの創作は内部型と外部型があると私は考える。前者はいわゆる描くこと、やることがメインであるということ。創作すること自体が楽しみであり公開はあくまで1歩後ろであるということである。つまり相手方

    • 認知と行動

      自分自身の行動をしっかりと認識することは重要だとされる。例えば何かに怒る時に「今俺なんか怒りすぎておかしくなっているな」と感じ取れれば過度に怒る必要が無くなり円滑になる。と簡単に言えるがなかなか難しい。認知できることと行動できることはイコールでは無いからだ。同じミスしてるなぁと認識しながら同じ言動をしてしまうことも多々あり。常に反省の日々(度々直せてないのに反省できているのか?)である。メタ認知能力を高めることは必ずしも客観的に良い行動が取れることでは無い。自分自身の不完全さ

      • これよくないなあ

        このノートとかいうサイト暇つぶしにちょうど良すぎていっぱい書いてしまうし結構ディープな話もしてしまう。誰も見ていないと信じて。

        • 偏りの螺旋

          長文だし赤裸々 ハマることのないと考えていた偏りの螺旋に、私はいる。そう考えたのは今日のことだ。朝、目を覚ますと懐かしいライングループが活動していた。どうやら都知事選の話らしい。前回の都知事選でK百合Kには入れるなよと言っていた友人がしっかりとK百合Kに投票した話を掘り返され弄られていた。そういえば高校時代は政治やら経済やら国際情勢やら宗教観やらそのような話を放課後に議論していた。補修やらなんやらを終わらせて5、6人で廊下にある固定のベンチで意見を交わし合ったこと(極めて高

          アニメに対する飽き

          約4年前からアニメを観なくなった。高校2年までは比較的色々観ていた気がするがパタリと辞めた。理由は飽きたからだとしていたが、これは論理的にはかなり不可思議である。アニメは毎シーズン相当な数新作が出てくる。特に現代はアニメバブル時代であり質の伴ったものが多い。つまり永続的で飽きのないコンテンツと言ってしまってもいいだろう。しかし、飽きた。もしやこれは昔の時代、漫画やアニメは子供の見るものだ!的なアレが来てしまったのでは無いだろうか(漫画は未だに好きであるが…)。アニメに対する飽

          アニメに対する飽き

          文章

          文章ってだるいよね。と思ったのは小学中学の私である。ペンを動かし文字を書くという行為が私には向いておらず総じて文章はめんどうと処理していた。しかし、文字を手で書く時代はもはや現在では終演間際であり私にはペンの代わりに例の機械が配られた。これは良い。叩けば文字が出てくる。その行為は私にとって嫌悪ないものでありもはや快楽に近い。文字を出力することには向いているのかもしれぬ。ここで私は出力のあり方について考えた。もし私がペンの時代でなければ文系に、文豪になっていたかもしれない。この