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フライング・ロータス監督「KUSO」は立派な芸術だった

脱糞 食虫 嘔吐……まさに見事な"KUSO"映画だった。

アメリカの音楽家「フライング・ロータス」が「スティーブ」名義で監督を務めた映画「KUSO」。邦題ではなく原題だ。もちろん和語での糞、くそ、クソを意味する。きったねえわ。のっけから不穏。

というのも彼は相当な日本通らしく、影響を受けた映画監督は北野武や黒澤明とのこと。おいこら。まじで即刻謝罪せよ。キタノ映画をどうメタモルフォーゼしたらあんなケッ作ができるんだ。ヤクザがベンザになるはずねえだろこの野郎。

しかしこの映画、当初の予定に比べてヒットしたのは事実。というのも元々は渋谷シネクイントで1週間限定公開だったのだ。それが蓋を開けてみたら1週間ずーっと満員。急遽、2週間限定に延長し、9月中に名古屋と大阪でも上映が決まった。

キャッチフレーズは「史上最もグロテスクな映画」。「史上最も」というKUSOコピーを使った時点で個人的にはちょっともう冷めていた。フライング・ロータスのMVはたしかに血しぶき満点で、ゴキブリやらクモやらがずっと画面をカサカサ動いてるようなキモい映像だ。

しかしグロテスクって言葉はそもそも首切ったり、虫食ったりしなくてもいい。語源は「グロテスク装飾」で、もともと奇妙なとか奇怪なとか、そういう意味だった。シュルレアリスムとかメルヘンに近い感じ。だから「史上最もグロテスクな」という文言には、やっぱり賛同できん。コピーライターの首を獲りたい気分。

じゃあなぜ1800円払って観たのかというと、単純に彼の映像が好きだったからだ。支離滅裂で暴力的。音楽は比較的静謐なほうだが、相反して映像はもう悲惨。クリプトプシーみたいなアシッドメタル流したほうが絶対にマッチする。なんかその奇天烈バランス感覚がたまらなく好きで、どっちにしろ観る気満々だったのね。キャッチ関係なく。

なんとかチケットが取れたが、もの好き盛りだくさんで前方の席しか空いてなかった。ちょっとげんなりしながらシネクイントに到着。上映時間は20:50〜と、ラストの回だ。つまり今から会場入りするのはKUSOを観にきた人間だけ。そんな緊張感溢れる状況でエレベーターに乗る。4人と一緒になる。

Superflyしか着用できないはずのミサンガ風キンコジ着けた女性と、闇のスナフキンみたいな男性のカップル。それに、もともと1つの個体が眼鏡もろとも単細胞分裂したみたいなおかっぱの女の子2人。私は油断しない。いつ刺されるかわからないので、会話に耳を澄ます。

「意外と人いるんだねえ」
「まじで。超意外だわ。フライング・ロータス、人気出たなぁ。つかさぁ、サマソニさぁ……」とカップル。どうやら2人はフライング・ロータスの音楽のファンらしい。すごい。期待を裏切らない。サマソニのフライヤーから飛び出してきたみたいな風貌だもん。

一方のWおかっぱ。
「あれさぁ、たぶん胎児をイメージして…」
「やっぱ、4回目で気づくこともあるね。今日もなんか発見するかもね。えへへ」

……いや4回目!!? 嘘やん。今日で5回目!? 14分の5だよ。マジで。えへへじゃねえよ、親泣くぞ。いやほんともうね、いつだってガチでイカれてるのはこういう娘。普通の風貌と普通の口調の娘よ。

最上階に着いてチケット発券。ロビーには予想通り奇抜な格好してる人だらけ。一瞬、キダムの楽屋に来たかと思った。上タイダイに下タイダイが2人いて、もうこの人らもこんなダイナミックなかぶり方すると思ってなかっただろう。

いや誰がやんだよこの顔ハメパネル。

上映10分前に席に着く。隣に同い年くらいの女性が1人。座るとほぼ同時に「ありがとう」と囁かれた。「え?」と思い、横見たら目が合う。微笑みながら会釈された。思わず会釈を返したけど、なんだ今のは。KUSOの関係者か? いわばトイレの関係者か? TOTOか? TOTOの社員なのか? 名刺交換するか? とか思いながら、震える手でコーラを飲みつつ待つ。館内が暗ーくなって予告編スタート。チリー・ゴンザレスかっけえなぁとか、岡本太郎狂ってんなあとか思いつつ、本編の幕開け。

……っとまぁ書くと長くなるしネタバレは嫌いなんで要約だけ。つってもこれネタバレとかいう概念ないけど。オチないし。

舞台は大地震後の地球で、頭のネジが一本外れたどころか八本埋め込まれたような狂人らが豊富に出てくる。全員狂人だから、そもそも「異常」という概念がない。末期の銃社会。戦時中の日本。

コンクリとかゴキブリとか食いながら「赤ちゃん返せ〜」って這いずる女。森の大木に備わった大口から頭を出してるおじいさんの顔に自らの大便塗りたくる少年。闇落ちしたガチャピン・ムックみたいなキャラに親と友達ぜんぶ殺されたのになぜか仲良く暮らす黒目がない女。あとなんかおっぱい恐怖症の男のドキドキ☆治療日記♪ みたいなの。その4つのストーリーが断片的に流れる。1のAパート〜2のAパート〜1のBパート〜3のAパート〜2のBパートって感じで混乱もいいところ。しかもその合間にダダコラージュとか裸の女がサイケなダンスするだけの映像とか単純に砂嵐とか、もう分かんねえ。でもなんか好きなんだよ。この配給会社泣かせの自由な作品が。

結局、ラストは望まれない胎児をフッサフサのサイコパスがイメージで殺した。歓喜する黒目のない女が小躍りしたあと、コンシェルジュ的な人間が現れて自動筆記めいた詩を5分くらい聞かされる。肛門から始まってトイレを流すような音でエンド。いやお見事。考える余地すら与えない。全盛期の具志堅のジャブ。客全員ボッコボコ。殴られすぎてノーダメージです。

私は「読み手(相手)に向けた創作」は商品でありエンタメだと考える。「作り手(自分)に向けた
創作」は作品でありアートだ。KUSOは立派な芸術だった。久しぶりにここまで尖りきったアートを観た。国籍が変わるとニーズも変わるから、もしやするとアメリカではエンタメなのかもしれないけれど、日本人のニーズは完全に裏切っていた。そんな自由奔放な作品。

帰りのエレベーターで、行きと同じくおかっぱ眼鏡の2人組と一緒になった。

「どうだった? 5回目」
「もうなんかね、途中から考えないようにしたよね」

カルト映画好きをも、腕っぷしで捻じ曲げる豪腕。大阪と名古屋でも上映されるらしいので、興味のある方は是非。

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