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高輪ゲートウェイトゥヘルバイクリプトプシーアンドケインコスギ
臨界は近く、野良だった祖母は、今朝からやけに凩じみている。
ままに歩き、少年になりきれずに泣いた怪獣を藁で包むばかりの日々だ。鈴が鎖のように連なって、シャンと澄んだ音も、今やジャラジャラと醜くなって、なんとも野暮ったい。濁音がどこまでも伸びるものだから、私と祖母はすこしも動けなくなる。
えさを食べながら、人ばかりが人らしく、生活をする。偶然が山になって、いつかほころぶ。気配は祖母の肩に張り付いたまま、人のかたちを模してゆく。「私は嬰児だ。私は嬰児だ」と聴こえる。レコードプレーヤーの針はベートーヴェンがプリントされた皿を回していた。「アナログ盤って、いいよね」。洒落たファンクビートを流すあなたの、悦に入った眼を思い出す。
「ハイレゾにはないあたたかみがあるよね。なんかさ、このざらつきが、クセになるっていうか」。ふむ。なるほど。あたたかみ。ざらつき。アナログの良さ。私だって知ってる。季節の移ろいや、毎日の足音の違い、鼓膜をかすめる風、紙を撫でる筆。どれも、あたたかみやざらつきがある音楽。アナログの良さなら、ずっと前から知ってる。気付いてるよ。
ところで、あなたがあくびを漏らすたびに、どこかで子どもが生まれている。もうすこしで終わるというのに、サインが書けない画家は、もう飢餓まで描き続けたほうがよい。食べずして書け。書かずして食うな。私と祖母はキッチンペーパーを借りに、孤島を出るようなことはしない。ジャラジャラがやまない。