東京都美術館で開催の「ムンク展」のレポート その1
ムンク展を観るために、上野の東京都美術館に行ってきた。「ムンク」という名前は、いつの間にか知っていたような気がする。無論、きっかけは「叫び」だ。
「ムンクの叫び」じゃなくてムンクの「叫び」なのね。へぇ〜。10年間も誤解してたわオレ。みたいな記憶は結構ポピュラーなものなのではないか。たぶんいつの間にかムンクという言葉を聞いたんだろう。ムンクってそういう画家。
ムンクのプロフィールをかんたんに書こう。
彼は1863年にノルウェーで生まれた。本名はエドヴァルド・ムンク。父親は医者だ。5歳のころに母が病気で亡くなり、14歳のころには姉をうしなう。おい父親と。お前医者だろと。救えと。まぁ仕方ない。こうした身内の喪失がムンクの画風を決定づけていくのである。その後「魂の叫び」シリーズで世界的に有名になり、「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」など、過去の名作が改めて評価される。一躍、美術界で名声を手にしたのである。
ちなみにムンクの超かわいいとこをいうと、一回気に入った作品は何回も発表する。ほんのちょっとアレンジして、新作みたいなテンションでアップする。かわいい。「ムンク、その背景、気に入ってるんだね」。
ムンク展 当日のレポート
朝からレッドブル片手に電車に乗って、ぶらぶらと上野に到着した。素晴らしい快晴であり、気分がいい。鼻歌でも口ずさみながらテクテク歩いていると、とんでもない人が同じ方向を目指していることに気がついた。
ハンパない。老若男女アンド老若男女。ムンクが甘い蜜でも出してんのか。吸い寄せられるように公園に人が入っていくが、よくよく考えたらおんなじ敷地内に上野動物園もあって、開園時間とバッティングしていた。
「ママ〜パンダ〜、パンダ〜」「うん。パンダたのしみだねえ」「ううん。ママがパンダなんだよ〜」「違うよ。ママは人間だよ」「なんで? パンダでしょ?」「え? 人間だよ。ちょっと怖いんだけど」「パンダ〜」みたいな会話を聞きながら歩く。予想通り7割くらいはパンダ。3割くらいがムンク。白黒ついた。
しかし3割といってもムンク展の人気はすさまじく、子どもづれや老夫婦、大学生、「叫び」がプリントされたTシャツを着た外国人などが行列をつくり、チケットを買うだけでもかなり並んだ。入館は20分待ち。そりゃそうだ。「叫び」が来てるんだもの。叫び続けているんだもの。ちなみに音声案内は人気声優の福山潤。手塚治虫みたいなベレー帽の女性2人組がきゃっきゃしていた。
東京都美術館館内へ
いざ入場。予想通りごった返してはいたが、全然前のほうで観られた。初めは自画像シリーズからスタートする。ムンクは「自撮り」が好きだったそう。未来に生きていたんですなぁ。しかし自画像もオリジナリティー溢れている。「地獄の自画像」とかもう、作品名がヤングジャンプ向き。作品自体も鬼気迫るものがある。特に自画像を彩る周りの装飾が特徴的である。筆を一定の方向に動かすのではなくて、好き勝手に書いている。しかも筆跡を見る限り、かなり強い力で描き殴っている感じだ。情熱を感じるが、実はイメージしていた画風と違った。あれ? あの「叫び」みたいな装飾は? あれはいつごろ顕れるのであろうかね、と進んでいく。
続いてはムンクの家族にフューチャーした作品群だ。先述したが彼は5歳で母を、14歳で姉を病で亡くしている。病に伏せる姉・ソフィエをモチーフにした「病める子」シリーズは思わず見入ってしまった。
観ているだけで、悲哀が押し寄せてきた。それは色彩遣いにもよるのかもしれない。寒色を多用し、寂れたムードを演出している。身内の死が彼の作風を決めた。人が浮かべているそのままの表情を描く「自然派」「写実派」に属したのも、やはり人間のリアルな苦しみや悲しみを近くで見ていたからだろう。観ているうち、ぞくっとしたのは私だけではないはずだ。
(その2につづく)