今年は縁が壊れまくり。でもそれでいいという呆れ。
上っ面の社交辞令なんて昔から苦手だ。
だから、私が多少の取り繕った笑顔と綺麗な甘い言葉なんてものを振り撒かなくてはならない事態なんて、接客業に従事しているときだけで十分だ。
なのに女という生物である以上、どうしても仲の良さとか付き合いの長さとかとか目には見えないフィーリングなどで
これでもかと相手へのLOVEを盛り盛りに盛らねばならないときがありすぎて辛い。
まるで「社交辞令」と「隠れたマウント」のパフェみたい。
そこにねっとりとした「妬み」のソースでもかけられたらたまったもんじゃない。
食べる前からもうお腹いっぱいだ。
ましてやそれを自分が相手に提供するなんて、性格的に苦痛でしかない。
私は社交辞令が苦手な分、本音をぶつけるほうが好きだ。
腹を割って価値観の違いを楽しみたい。
そういう包容力こそが多様性のある社会を創造するし、そのような他者への心の余裕をもっと身につけたいと思う。
◯◯ちゃんのことを信頼しているの❤️
◯◯ちゃんに相談して良かったー🥰
しっかり者の◯◯ちゃんだから頼りになる🌟
…などなど、言われる機会は多いが、自分が言う機会は殆ど無い。
本心から「好き」と思えば、いちいちそんなん言わんでも言葉と態度で染み出て来るやろ!とすら思うほどだ。
(愛情表現下手くそすぎて過去の恋愛はボロボロだったから、夫婦間に於いてはちゃんと言葉にしている)
いくら私をお膳立てしてくれたって、掌を返すようでは「あー、それが本心ね」と思う。
無理して私のことを好いてくれたり信頼しているようなフリをする必要は無い。
こちとら仏や神様じゃないんでね。
何をされても平気ではないし、寧ろキャパなんて狭いから今まで私の優しさで大目に見ていたというだけのことさ。
私から離れるなら勝手にしてくれと思う。
私も無言で離れるだけだ。
いくら本心をぶつけ合いたいという性格の私でも、絶縁宣言に近いような文言は相手には伝えませんわ。
「本音をぶつける=傷付けて良い」なんて考えではないからね。
本音をぶつけるのは相互理解の1つであって相手をサンドバッグ状態にすることとは違う。
だから相手からそのような趣旨の連絡を受け取ると「あー、この人は人からの離れ方が下手やなぁ」と思う。
今年に入ってから、女らしい女たちと縁が壊れまくっている。
その分新しい縁が巡って来るから、要らないものはどんどん壊れてしまえばいい。
感情論だけで生きている彼女たちと私とはモノの見え方が違うのだろう。
怒りや憤りを半年間ずっと溜め込んできたけれど、これだけ色んな人たちとイザコザが生じたりギクシャクしたりするくらいなら、彼女たちにはもういっそのこと無言で私のいない世界線で生きていってほしい。
それでも彼女たちは私に言うのでしょうけど。
「あなたと距離を置きたい」と。
言われた立場の私の事も考えたことないのでしょうね。
何ていうワガママさと図太さなのかしら。
そして「私のことを分かってよ!大変なの!」アピールや言い訳をするのでしょう。
何ていう面倒くさい人なのかしら。
インスタもnoteも
「この人の考え方とかやっていること、面白い!」
「え、大丈夫!?この人の話でも聞いてあげたい」
とか私の心を動かしてくれる人しか私はフォローもフォロバもせんよ。
こんなに皆がフォローしてくれたんだから君も彼らのことをフォローしなさいよ、という押し付けがましさが窮屈。
息苦しいからインスタも放置してしまっている。私の好きにさせろや。
私は好きなタイミングで好きな相手だけフォロバするんやで!
とスマホの通知に一人で腹を立てて憂いている。
皆は好き勝手しすぎているのに、私ばかり接客スマイルで良い人を演じて馬鹿みたい。
我慢した時間と労力を返してくれ。無償のボランティアをしたつもりはない。