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パリに住む?~2024年、実存主義の旅~

2024年の10月まるまるをフランス(主にパリ)で過ごした。
今年の秋はキンモクセイの香りをかかがなかったことになる。
帰国してからそれに気づいた。

東京の東に住む友人は「キンモクセイ2巡目きた」の投稿をインスタにあげていたが、残念ながら、我が家の庭のキンモクセイは今年はもう咲く気はないようだ。

パリの秋はまったく匂いがしなかった。香りのある花が咲かない秋。街角では焼き栗が売られていたが、匂いはなかった。
石畳の上に降り積もる枯れ葉。踏むといい音がした。

パリの秋。
パリの南東にあるヴァンセンヌの森。

滞在中、何度となく、なぜ今自分がパリにいるのかが不思議な気持ちになった。
聞こえてくる言語はほぼフランス語。
目に入る文字はアルファベット。
大きなドア、堅い壁、人々の背も軒並み高い。

それも、じき慣れた。
けれど、数日ごとに宿を移っていたせいか「パリに暮らす」イメージはあまり沸かないまま、日々は過ぎていった。

1ヶ月は新しい習慣になじむにはじゅうぶんな時間でありながら、ひとつの季節が目にみえて進行するほどには長くない時間だ。日本に帰国して、フランスに行く前とさほど変わらない風景のなか、ふとキンモクセイのことを思い出しさえしなければ、何も変わっていないと錯覚するくらいの。

終の住処という言葉がある。
私が今、住んでいるのは埼玉県のやや東よりの真ん中らへんに位置する市である。
近隣には電車の駅がない自治体もあるが、うちの市にはいちおうJRが走っているし、暮らすのにそれほど不便はない。
だが、ここに骨をうずめたいか、と聞かれたら、それはまだわからないでいる。

私は東京出身だが、そろそろ東京を出てからの年数が東京住まいの年数と並びそうだ。23区内に実家はあるが、小6のときに引っ越したせいか(それだけじゃないかもだけど)地元に友達はほぼいない。

一方で、今住んでいる家の半径2キロ以内に、たとえばインフルエンザでぶっ倒れたとき、なにかと助けてくれる友達が少なくとも3人はいる。これは今の日本では本当に稀有なことだと思う。この環境を手放して、たとえばパリに住むことは、今の時点では考えられない。

現地で「パリは学生とお金持ちにとってはいい街」だという意見も耳にしたが、それはこの際、置いておいて。

パリの真ん中、シャトレ/レアール駅からほど近い、19世紀に建てられたアパルトマン3階(日本では4階にあたる)に住む79歳の女性に「もしひとりでいるときに倒れたら、どうするのか」と聞いた。
するとボーイフレンドや、同じアパルトマンに住む住人のうち2人が鍵を持っているから大丈夫、という。住人も自分も20年、30年以上同じアパルトマンに住んでいるからこそ築ける信頼関係なのだろう。

今、再び埼玉に帰ってきて、穏やかな日々が戻ってきた。絶賛反抗期の娘は相変わらずプンプンしているが、それさえも穏やか。

ところで私は「ハリスおばさん、パリへ行く」(ガリコ作)という小説が大好きなのだが、ざっくりいうと、ロンドンの通い女中のハリスさんが、クリスチャンディオールのドレスを買うためにパリに行く話だ。
つまり目的のあるパリへの旅。
それに対して、私の旅には明確な目的はなかった。しいていえば、パリに行くことそれ自体が目的といえるか。ただパリに行ってあれしたい、これしたいはそれほどなかった。

明確な目的を持たなかった私の旅は、言うなれば「2024年、実存主義の旅」。
J.P.サルトルは「実存は本質に先立つ」のフレーズで有名な、実存主義を流行らせたフランスの哲学者である。
サルトル。
20代の私を夢中にさせ、なんなら私は事実婚するところまで真似してしまった。その元凶、いやマイ・インフルエンサー。

人間は(たとえばハサミのように)目的があって、存在しているわけではない。生きてその目的をみつけること、それがつまり生きることで、人間はどうしようもなく自由なのだ。

ただ、パリに1か月行ってきた、というだけで「すごい(バカだ)ね」と言われる日々は終わり、これからは支払いの旅が始まる。

生きることもまた旅、と言われることがあるが、今回の旅から学んだことがいくつかある。
荷物は少なく、身軽に。
気に入った自分でいる。(服、髪)
会える人とは会っておく。
なるべく具体的な話をする。

住んでいる場所がかっこよくても仕方ない。自分がかっこよくないとね。

ここがパリであっても、埼玉でも。
そもそも、海がない点では同じではないか。

菊が売られていたお花屋さん。

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石渡紀美(イシワタキミ)
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