人目を気にしすぎる人はフランスに行ったほうがいいよ
2024年10月まるまるフランスに滞在してきました。その間の出来事や思ったことなどを書いています。
ホウレンソウという言葉が日本にはある。
フランスにはない。いや、言葉がないのは当たり前だが、そういう概念がたぶん、ない。
今さらながらだが、ホウレンソウとは「報告・連絡・相談」の頭の部分を繋げた言葉で、主に職場やビジネスの現場で使われる言葉。
スムーズな組織運営のために、社会人として必須のスキルと言われる。
ビジネスでなくとも、人となにかを一緒にやる場合、進捗や状況を逐一「報告・連絡」し、決断に迷うときは一人で決めずに「相談」するのが、まあよいとされるよね、日本ではね。
フランスで感じたのは、そんなになんでもホウレンソウしなくていいってこと。
むしろなんでもホウレンソウすると、なんでそんなにホウレンソウするんだ? って思われる。
たとえば今回、複数のホストさんに泊めてもらったのだが、日中に出かけるときに、その都度その日のスケジュールをホウレンしていたところ「(はあ? なんでそんなことわざわざ言うんだ?)オ、オーケイ、 あなたのホリデーなんだからご自由にどうぞ?」という反応がほとんどたったのだ。
彼女らは一様に戸惑っていたようだった。なぜそんなことをわざわざ言うんだ?
こちらとしては、泊まらせていただいているんだし、スケジュールをお知らせするのは、相手に対する礼儀だと思っていたけれど、そんなリアクションを受けるうちに、自分が自分の行動に責任持ちたくない人みたいに思えてきた。
自分の行動を自分で決める。当たり前のことなんだけど、なぜか遠慮があった。
たとえば、今回の旅行はしいちゃん10歳が一緒なので、夜のお出かけはなるべく避けたかった。実際、あまり夜は出歩かなかったのだけど、どうしても一人で行きたいイベントがあった。会場となる場所はバーの地下。とても子連れで行きたい場所とはいえない。
ホテルに1人残すのは心配だが、今回は宿を提供してくれるホストがいた。
そこでホストに娘を頼むとお願いできたらな、と思った。今までの私(10年以上日本から出ていない人)だったら「今夜、ひとりで出かけたいのですが、娘を残していっても大丈夫でしょうか?」と質問形で聞いていただろう。
このときに相手がノーと言った場合、私はイベントに行くことをあきらめるのだろうか? それはあまりに自分の行動の決定を人にゆだねすぎだ。
そこで私は言い方を考えた。もう行くことになっているていで伝え、娘はここに残る事実だけを伝えた。
これを日本語にすると、相手によっては角が立つと思うが、英語ではこれでいいのだ。
たとえがぶっ飛ぶが「お客様を心配させないのがステージに立つ者の務め」みたいなことを、さぶちゃんこと北島三郎が言ったとか言わないとか。つまり、それだと思う。相手を当惑させないコミュニケーション。そのためには確固とした自我が不可欠だ。
まず、自分がどうしたいかを明確に伝える。
多くの日本人にとって、これを会得するには練習が必要だと思う。
実際、ホストもそこそこ勝手なのである。
たとえば朝、今夜友達が出演するライブがレストランであるので行かないか、と聞かれ、夕方にそのつもりでホスト宅に帰ってくると、ホストはまだ帰ってきていない。その後帰ってきたホストは疲れたから出かけるのはよすことにするわ、という。ドタキャンである。
その際、当然「ごめんなさい」はない。これは服屋であった出来事や、土産屋であった出来事から学んで、気にならなくはなっていたけど、日本なら謝るよなーとは思う。
他にも、あった。これは小さな子どもがいるホストのこと。誘われていったローカルなミニコンサートでは、途中、ホストの子どもが飽きてしまって外に出て、そのまま帰ってしまった。ホストの旦那さんの方は席にいたけど途中から寝ていて、コンサートが終わった後に起きると「僕はもう行かなくちゃ。帰り道、わかる?」と言って先に帰ってしまった。歩いて帰れる距離だったから、まあよかったけど、旅の最初の方だったので、ちょっぴりびっくりしたわ。
娘のしいちゃんは、普段、日本ではめちゃくちゃ人に気を使って、私なんかは「空気読めない」と怒られてばかりだった。だが、旅の途中から、パリでのしいちゃんは、メトロで席が空いていたらパッと座りに行くし、音出しながらYouTube見るし、まったく人が変わってしまった。
日本に帰ってきたしいちゃんは再び気遣いの人となり、電車の中では空席を見つけても立ったまま、スマホは音を消してみている。
なんだかな。私としては日本がもう少し欧米化して、人目を気にしない人が増えてくれた方が、生きやすい人が増えると思うんだけど、どうでしょ?
少なくとも「トイレに行ってもいいですか?」と聞く子どもは減った方が、明るい未来になる気がするが。