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フランスでも日本でも、興味があるのはやっぱり人です。

フランスに来て以来、比較でしか物事を見られなくなっていたなあ、と反省している。普段、子どもには「人と比べるな」と言っているのに。

そこで物事そのものをちゃんと見ようと思った。それでも驚くことは驚くのである。

昨日、洋服屋さんで娘の服を買った。今朝、娘が付属のベルトがついていないことに気づいた。試着したときにはあったのに、レジでお会計してくれた店員さんが入れ忘れたのだ。
またかよ・・・日本だったらあり得ない・・・とか言ってる間に、店に取りに行くことにする。時間ならたっぷりあるので。
昨日対応してくれた店員さんはいなかったが、何人かの店員さんとマネージャーっぽい感じの男性がレジのところにいた。そのマネージャーっぽい感じの人に「これこれこういうわけでベルトがついていなかったからくれ」と言ったら、他の店員たちがあーだこーだ。中には「その服にはベルトはない」とまで言う人も。ここでまた私のファイティングスピリットに火がつきそうになるが、なんとか抑えて、マネージャーと売り場へ。果たしてベルトはあった。「これをあなたにあげます」と、売り場にあった服についていたベルトを取ってくれた。
それにしても、昨日の店員から渡し忘れの共有はなかったのか。だとしたらもともとついていたベルトはどこに行ったのか。など、謎は残ったが、まあいいや。(そして最後まで謝罪の言葉はないのであった)

電車の定期を買ったときの窓口女性といい、なんというか、仕事に対してそう情熱を持っていない人が多い印象。これは余裕で偏見と言っていいと思うのだが、店員がひまな時にスマホを見ていたり、入国審査の担当者がひまじゃない時でもスマホをみていたりそしてニヤついているところを見るにつけ、ああ、仕事ってこんなに適当でいいんだな、と思わせてくれる。

人目を気にしない裏には個人を尊重するお国柄や文化や、たぶん法律も味方をしているのかもしれないが、電車の中でガンガン音だして動画を見ていたり、スピーカーフォンでしゃべっていたり、自転車や電動キックボードや犬持ち込みOKだったり、ああ自由だなあ、と思う。

日本人は人の目を気にしすぎるのだ。
昨日、民泊のホストと話していて、こんな話をした。
道路を横断する時、ドイツ人は信号を守る。
フランス人は車が来なければ渡る。(アメリカ人も)
メキシコ人は車が来ても渡る。
それに対して私は、日本人は人が見ていなければ渡る、と言った。
で、人目を気にしないフランス人が大切にしているのは、やっぱり愛とか心の豊かさなのかな。パリの雑踏の中でも、ぶつかったら謝るし、ちょっとしたコミュニケーションを避ける東京の人とは大違い。あっ、また比べてしまった。

マドレーヌ寺院に行った時に、ちょうどその日の午後に行われるフリーコンサートのリハーサルに出くわした。弦楽器とピアノの先祖みたいのと歌。それを子守唄にしいちゃんはお昼寝。豊かだなあと思った。リハを見ていて立ち去る人の中には涙している人もいた。

服や切符を売る人。
音楽を演奏する人。
本当は職業に貴賤がないと思っている。だが、仕事の違いが情熱の差を生むと簡単に言えそうになるのが我ながらこわい。
わからない。
フランスはそこら中にゴミ箱がある。と言うことは、定期的にゴミを回収する人がいるということ。回収中にゴミを捨てさせてもらったら、Merciと言ってくれたゴミの回収人もいた。
単に人による違い、でいいのか。
わからない。
宿のホストは写真家と催眠療法のセラピストの夫婦なので、このあたりも聞いてみたいと思う。

ただ気持ちのよいサービスを受けた時も、その反対の時も、人と対している実感があるのは、圧倒的にフランスである。日本、特に東京の、あの人を透明人間みたいに無視する感じ(満員電車とか、ひどいと道を聞かれても無視する人はいる)は本当に心が砂漠化する。なるべくなら人対人で接していたいと思う。

マドレーヌ寺院のレストランはボランティアのシニアたちが立ち働いていて、コミュニケーションもサービスも、本当に気持ちがよかった。
すごい縦列駐車。誰かの自由は誰かの不自由ではないのか、、、

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石渡紀美(イシワタキミ)
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