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あなたの、ほんとうのリーダー

こんにちは(*'▽')

自分のことをずっと見ている・見守っている存在っているでしょうか? 草葉の陰から、むかし可愛がってくれたじいちゃんが。天空から神さまが。それとも、幽体離脱したようにすこし離れたところから自分自身が。…目を閉じて、感じとってみようかな…( ̄д ̄)


だれよりもあなたの事情をよく知っている。両親よりも、友だちよりも、いわんや先生たちよりもあなたのことをすべて知っている。あなたが、そういうことをせざるをえなかった、あなたの人生の歴史についてもだれよりも知っている。しかも、あなたの味方。いつだって、あなたの側に立って考えてくれている。

そう。あなたの、ほんとうのリーダーは、そのひとなんです。

それはさっき私が言った、「自分のなかの目」、でもあります。同じひとです。そのひとにぴったりついていけばいい。

自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす、という作業。それは、あなたと、あなた自身のリーダーを一つの群れにしてしまう作業です。チーム・自分。こんな最強の群れはない。これ以上にあなたを安定させるリーダーはいない。これは、個人、ということです。

そして、群れというのは本来、そういう個人が一人ひとりの考えで集まってできるものであるべきだと思っています。個人的な群れ、社会的な群れ、様ざまな群れがありますが、それに所属する前に、個人として存在すること。盲目的に相手に自分を明け渡さず、考えることができる個人。

じゃあ、どうやったら個人でいつづけられるか。自分のなかに自分のリーダーを掘り起こすって、どうやって?

一つには、自分でも受け容れ難いことをやってしまったとき、ああ、やっちゃったよーとか、自分を客観視する癖をつけることです。批判する力をつける。様ざまに批判する力をつけるなかで、自分自身にももちろん、批判する目を向ける。批判って、難癖(なんくせ)をつけるとか、文句ばかり言う、ということとは違います。正しい批判精神を失った社会は、暴走していきます。批判することは、もっとよくなるはずと、理想を持っているからできること。社会を愛する気持ちと反対のものではないのです。客観的な目を持つ。つまり、そういう視点から自分をも見つめる、筋肉のようなものをつける。その目は自分をよく見ているから、自分にできないような無理な要求はしない。ちょっと頑張ったらできるはず、という線が引ける。頻繁にそういうことをしているうちに、それはできます。それを意識するということがつまり、今言うところの、掘り起こす、という意味。そしてその目が、あなたのリーダー的役割をするものになる。

(中略)

「え? そうかな?」と思ったことを大切にする。それがあなたらしさを保っていく。

疑問を持ったら、人は不安になります。「え?」と思った瞬間から、群れから外れる予感が芽生えるからです。それは動物本能的に人を不安にする。だから無意識に疑問を持たないようにしようとする機能が働く。

でも、「え?」と思ったことを大切にしましょう。すぐその場で反対を表明できる勇気がなくても、です。疑問に思ったこと、そして明らかにおかしいと思ったこと。それは「チーム・自分」の抱える課題となります。

この本、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の登場人物の一人、ショウコは足を踏みつけられたら即座に痛いって言う、って言っています。あんたの足が踏んでいるのは私の足で、痛いんだよ、どけろよ、と。ユージンは、面倒だから黙って踏ませとくよ、って言います。それにショウコが異を唱える場面を、読みますね。

「黙ってた方が、何か、プライドが保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、なんとも思ってないっていう方が、人間の器が大きいような気がするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼされていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをしているのはかっこいいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれ、って言わなきゃ」

で、それを聞いたユージンは、「言っても外してくれなかったら?」と訊きます。ショウコは、

「怒る。怒るべきときを逸(いっ)したらだめだ。無視されてもいいから怒ってみせる。じゃないと、相手は同じことをずっと繰り返す」

と答える。

私自身も、基本的にはそうしようと思ってきました。もちろん、あまりのことにぼうっとしてしまって、対応が遅れることも多いですけれど。その言い訳ではないけれど、すぐにリアクションする、反応する、ということが、すべての場合によいことかどうかわかりません。私自身はショウコの考え方に賛成ですが、そういうことだけをしていたら、考えるという習慣が抜け落ちていきます。反応するだけの、まるで脊髄(せきずい)反射で生きているだけのシンプルな生命体のままみたいになってしまう。基本は、考えて行動する。でも、そうできないときもある。即座に怒らなければならないときもある。自分にあったやり方を模索していきましょう。経験を積むうちに、今が即座に怒るべきときなのかどうかがわかってきます。チーム・自分として、リーダーとともに行動すべきときが。

梨木香歩

『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店、2020年)より、トークセッション「「どう生きるか」をどう生きるか」講演録(2015・4・4、於ジュンク堂書店池袋本店)初出


ニューノーマルの世界に突入しているんでしょうか。いままでの「当たり前」「習慣」「常識」が通用しない場面も増えて、見とおしがよくない、霧の中にいるような、そんな状況で他を頼らず自分なりの判断をする必要が増してくるかもしれません。その材料となるのは、ニュースだけじゃなく、自分のなかに息づいているもの(興味、よろこび、知識、悲しみ、ユーモア、etc)もかもしれません。

わたしは、根っこのところで9歳くらいでしょうか。もちろん、大人・社会人としての判断もしますが、なにかに驚いたり、おもしろそう!と思ったり、替え歌つくったりするようなとこは、ちびまる子ちゃんの年頃の自分が担当しています。たぶん。

昨年小学校に入学した甥っ子に「給食のとき、みんな前を向いて喋らないで食べるから、つまらないんじゃない?」と訊いたら、 「めんどくさくなくて、それでいい」とのこと。以前のことを知らないと、適応早いのかな。なんか、淡々としている様子が頼もしいような気もしました…!

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