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緑のおじさん

春の季節が始まり出した頃の話。

「パパ~、きょう学校行く途中に緑のおじさんがいたよ」
「おじさん? みどりのおばさんじゃなくて、おじさん? パパが子どものころはみどりのおばさんだったけどなぁ。今はおじさんの時代かぁ」


パパから聞いた話だと、昔はみどりのおばさんと呼ばれる人がいたそうだ。
小学生の登校時刻と下校時刻にその女性は現れるそうだ。

年は40代~60代に見えたけど、今思えば、子ども時代だったからそう見えたのかもしれないし、そんなにいってなかったかもしれないしと、パパは言っていた。

服装は、制服のような着衣を着ている人もいたし、動きやすいジャージのような服装の人もいた。どうやら特に決まっていなかったようだ。

何をしている人なの?と聞くと、子どもたちが無事に信号のない横断歩道を渡れるように、黄色い旗を手に持って、車を誘導して、安全に子どもたちを登下校させるというのが役目で、おそらくボランティアでやっていたようだが、当番制だったのかもしれない。

さらに信号待ちをしていると、「宿題ちゃんとやった?」とか、「給食なんだった?」など、話しかけてくれ、帰り道にみどりのおばさんがいないと少し寂しい気持ちになることもあったとパパは言っていた。


そんなみどりのおばさんとパパとの一番の思い出は小学4年生の時のこと。
学校も終わり、家に帰ってゲームでもやろうと思っていたパパ。家に着いて玄関の鍵を開けようとしたけど、ランドセルのいつもの場所に家の鍵が入ってなかった。

『落とした!?』

常日頃から無くしちゃダメだと、おばぁちゃんに口酸っぱく言われていたのに、無くなってしまい、慌てたパパは急いで通学路の途中で鍵が落ちてないか右へ左へ、道路を見渡しながら、再び学校へと続く道を急いだ。

その途中の横断歩道にみどりのおばさんがいた。パパの慌てた様子に気付き「どーしたの?」と声を掛けてくれ、パパが事情を話すと、「わたしも一緒に探すわ」
パパはその言葉にただただうなずき、有難さよりも必死さが勝り、お礼も言わずにまた家の鍵を探し続けた。

用水路の横の草むらや、小さな公園、その日は寄ってなかったけど、近所のお寺まで、心当たりをくまなく一緒に探してくれた。
途中、みどりのおばさんが掛けてくれる「きっと見つかるよ」「思い当たるところ他にはない?」の声が本当に有難かった。

日も暮れかけてきて、みどりのおばさんが、「おばちゃんも一緒に謝るから、家に帰ろう」と言ってくれた。
これ以上みどりのおばさんに迷惑は掛けられないと、1人で帰れることを伝え、パパは1人で暗くなった道をトボトボと歩いて帰った。

家に着くと、明かりが点いていて、おばぁちゃんが夕飯のカレーの支度をしている音と匂いが外に漏れていた。

玄関の外で家に入りづらくてモジモジしている時、あともう1回だけ、ランドセルやズボンのポケットを探してみようとゴソゴソやってみると、ズボンのポケットの中にあるもうワンサイズ小さなポケットの中で感触が。。。


久し振りの鍵との対面。鍵と会えてここまで喜んだ経験は、これまでなかった。
ホッとして家に入ると、「遅いわねぇ」と言われ、「チョットね」などと誤魔化しながら、すぐに夕食の時間になり、お腹がペコペコだったからか、ご飯をいつも以上におかわりし、その日は疲れてすぐに眠ってしまった。
その日の、カレーの匂いと美味しさは、今でも思い出として記憶に残っている。

次の日、学校へ向かうため、いつものように歩いていると、横断歩道のところで昨日一緒に鍵を探してくれたおばさんがいて声を掛けてくれた。「きのう大丈夫だった?」

あんなに一生懸命に探してもらったのに実はポケットに入っていました、とは言い出せず、「大丈夫。ありがとうございました!」と言ったら、みどりのおばさんは、とびっきりの笑顔で「いってらっしゃい!」と返してくれた。

パパの思い出に登場するみどりのおばさんは、そんな地域に密着しているカッコいいおばさんだった。

今朝僕が、横断歩道で見た緑のおじさんとは、全然違った。

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