意志不通
シ~ンと静まり返った家の中。
夫婦は机を挟んで対峙している。
朝出掛ける直前、お互いの目が合い、何かを言おうとしてお互いが黙った。
でも良かった、お互いの言いたいことは同じだったから。
「今夜、話したいことがある」
普段からそんな騒がしい家ではないが、人がいるのに静かだとより静かに感じてしまうのはなぜだろう。
結婚して10年、お互いがまもなく40歳になろうというタイミングを迎えている。
夫「あのさぁ~、先に話す?」
先手で喋ったのは私だったが、主導権を握ったわけではない。
妻「別に大したことじゃないから先どうぞ」
夫「大したことじゃないんだ…」
思わずホッとして安心した言葉が口を出た。仲良くやっていてもケンカをしていなくても別れる夫婦がいることはよく聞く話、離婚とかの話ではないみたいだからとりあえず良かった。
夫「そしたらじゃ~、実は、部署を移動になった。今まで企画開発の部署にいたけど、これからは営業。急にお客に呼ばれて仕事に行くかもしれないから言っといた方がいいかなと思って」
妻「うん、知ってる。菊野さんの奥さんから聞いたよ」
夫「そっか」
妻「大変そうだね」
夫「うん、前よりね。でも前が楽すぎたっていうのもあるし、今の方がやり甲斐はありそう」
妻「そっか、なら良かった」
夫「そっちは話ってなに?」
妻「うん、別に大したことないんだけど、冷蔵庫新しいの買いたいなっと思って。たまに凄いヴォ~ンって音鳴るでしょ。夜中うるさいなぁ~と思って。氷ができるスピードも遅いし。欲しいんだけど、どうかな?」
夫「うん、知ってる。欲しそうな顔してたもんね。こないだも凄い顔で冷蔵庫睨んでたよ。よし買おう。僕はこだわりないから決めてもらってもいい?」
妻「うん、分かった。サイズは同じぐらいのにすればいいし、特に新しい機能もいらないんだけど、菊野さんの奥さんにも相談してみる。あの人、家電詳しいから」
夫「うん良いと思う。俺も聞かれても分かんないし」
妻「もう一個言いたいことがあって」
夫「うん、なに?」
ヴォ~ン、ヴォ~ン、冷蔵庫がすごい音で鳴っているが、お互い鳴り止むのを静かに待つ。
妻「お父さん、今度手術するんだって。ずっと目の調子が悪くて病院に行ったら、そう言われたらしい。私も病状を詳しく知ってるわけじゃないんだけど、今度お見舞い行ってくる」
夫「うん、知ってる。お母さんから連絡来た。今のうちに手術しとけば大丈夫って言ってたよ。そんなに心配もしてないみたいで、ずっと畑で獲れたキュウリの話してたよ」
妻「そっか、なら良かった。お見舞い一緒に行く?」
夫「う~ん、一緒に行きたいけど、もしかしたらまだ身動きとりづらいかも。急にお客に呼ばれることがあるから。でも調整してみるね」
妻「うん、分かった。無理はしないでね」
夫「俺も一個いいかな?」
妻「うん、なに?」
夫「さっきから前歯にニラ付いているよ」
妻「うん、知ってる」
お互い相手が知らないと思って伝えたことだったが、相手が自分のことをどれだけ知っているかをお互いが知らなかった。
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