ロビー・ロバートソンが奏でた残響のアメリカーナ
ロバートソンはずっとそうだった
昨年、ロビー・ロバートソンが亡くなった。
2023年8月9日のことだから、もう半年がたつ。私がもっとも敬愛していたミュージシャンであったので、彼がすでに地上にいないという事実は、とてもさびしい。
おそらく多くの日本人がそうであったように、私も結局ロビー・ロバートソンが音楽を奏でる現場に立ち会うことはできなかった。そのことも、よけいに喪失の穴が埋まらない原因になっている気がする。
しかし、奇跡的な瞬間もあった。
2002年、「ラスト・ワルツ」リマスターDVDのプロモーションで来日した彼と握手して短いながら言葉を交わしたことは、私の生涯の思い出だ(私が持参したビッグ・ピンクの写真を見せたら、驚いてくれた)。
そして、折しもいま、時系列的にはおそらくロバートソンの遺作であろう「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(M.スコセッシ監督)のサウンドトラックを聴くことができる。彼のルーツのひとつであるネイティヴ・アメリカンの悲劇を題材にした映画で、かつスコセッシ作品のサントラが遺作になるとは、彼らしい巡り合わせのように思わせる。
この作品に収められた楽曲は、ザ・バンド的なアプローチを思わせる。
空間系のエフェクトがかかったサウンドと、抑制の効いたフレージングを掛け合わせたギター。そのバックで鳴るトライバルなビート。2曲目の『Osage Oil Boom』とバンドの『Up On Cripple Creek』を並べても違和感はあるまい。ロバートソンのルーツを思わせる。
しかし、これをもとにロバートソンがザ・バンドに回帰したと、言いたいわけではない。ロビー・ロバートソンというミュージシャンが、デビュー以来ずっとそうだった、その証左でしかない。
ロバートソンとザ・バンドの溝
誰がなんと言おうと、ザ・バンドは徹頭徹尾、ロバートソンのバンドだった。
彼がやりたいことをやり、奏でたい音をつくって弾き、聞かせたい物語を歌詞に昇華させ、当時の彼が持てるすべてのミュージシャンシップをパッケージしたのがザ・バンドなのだ。
私は、自宅に写真を飾るくらいのリック・ダンコのファンだ。リチャード・マニュエルの歌声に何度涙したかわからないし、好きなドラマーを聞かれたら、きっとリヴォン・ヘルムをリストから外すことはないだろう。プレイだけでなく人柄を含めガース・ハドソンが大好きだ。
だが、ザ・バンドとはロビー・ロバートソンの謂である。
同時に、ロバートソンがホークスというドサ周りの一座でザ・バンドの面々と出会ったことは僥倖であり、「ザ・バンドをする」ことは、ロバートソンの働きとして神が与えられたチャンスだったのだ。もちろん、ボブ・ディランという偉大な才能との出会いもまた同様だろう。
ザ・バンドの面々は、優れたミュージシャンシップを有する、すばらしい音楽家たちだ。ハーモニーも演奏も鉄壁で彼らにしか出せない音があり、一聴してわかるシグネチュアがある。
だからこそ、ロバートソンが抜けた後でも、彼らは自らの力でザ・バンドを再興して音楽家として生き続けた。往時と聴き劣りすることは免れないが、聴き応えのあるアルバムを1990年代になっても発表することができた。個人的に「Jubilation」は好きなアルバムだった。
再結成初期のケイト・ブラザーズは置いておくとしても、その後任のジム・ウィーダーはギタリストとしては最高の部類に入るプレーヤーだ。演奏者としては十二分にロバートソンの穴を埋めてザ・バンドに再び活を入れ、現役のアメリカン・ロックバンドとしての勢いを与えてくれた。
それでも、ウィーダー含めバンドの面々とロバートソンとには決定的な差がある。プレーヤーの資質にとどまらない「音楽家」としてのスタンスの差であり、ロバートソンにはある資質が備わっていた。つまり、音楽ジャンルに囚われずに、自分のやりたい音が見え、物語るべきストーリーを持ち、それを具現化させ、それを聴き手に届ける資質を持っていたのだ。
その資質の違いが、結局は溝となり「ラスト・ワルツ」へと彼らを押し流していく。
とはいえ、その資質だけでは革命に等しいインパクトを、60年代後半のロック界で残せなかったことも、また間違いないだろう。
ザ・バンドは、ロバートソンのビジョンをリヴォン、リック、リチャード、ガースが増幅させて、物語を肉付けしてロックバンドとしてのダイナミズムを生み出しているからだ。
繰り返しになるが、それでもザ・バンドのサウンドを俯瞰してつくったのはロビー・ロバートソンであり、彼が脚本家兼監督だった。ザ・バンドがザ・バンドとしてあるその形は、時代を経て見てみれば、監督と演者の関係だったのかもしれない。
上掲の「ジュビレーション」を聴けば、残りのメンバーが依然として上質なカントリーロックやブルースを演奏できるグループであることは間違いない。
それでも、それを「ザ・バンド」の音楽と呼ぶわけにはいかないないのだ。ガース・ハドソンですらもその才能を自由に羽ばたかせるために、ロバートソンという触媒が必要だったことがわかるだろう。ただし、逆もまた然り、であることは否めない。
ロバートソンの虚の実、実の虚
では、ロビー・ロバートソンをロビー・ロバートソンたらしめた要素とは何だろうか。
私は彼こそ、空間系エフェクターを駆使した「残響コントロール」をシグネチュアにしたギタリストの嚆矢だとずっと思っていた(たとえば『Tears Of Rage』)。あるいは、ロックギタリスト(と、あえて単純化するが)として、サウンドの物理的な奥行きや余白を、意図的に表現のうちに含めた(たとえば『The Weight』)のが彼の功績だと考えてきた。
ギター奏法においても、ピッキングハーモニクスの多様や独特なビブラートのかけ方(後者はスライド奏法とボトルネックの存在を知らなかったと、どこかで読んだ記憶)がロバートソンらしさでもある。これもまた残響感のバリエーションだろう。
ギターの音が揺らぎ、詰まり、ひっかりかり、かすれ、途切れ、同時に奥行きがあって、変なサウンドで……それが私たちの耳を、心を捕らえて離さない。
そういう「ギターサウンド」をつくった最初の音楽家だったのだ。
ロバートソンの指向(嗜好)性は、実はジョー・ミークやブライアン・ウィルソンに近いのではずっと思っていた。
そうした独創的な部分をうまく中和し、ロックバンドとの体裁を保てたことは、バンドが力のあるミュージシャンの集合体だったからに違いない。いっぽうで、ミークやウィルソンのような破綻を許さないのもまたロバートソン的である。
「ザ・バンドの本質はライヴにあって、剥き出しのロックンロールバンドが本来の姿なんだ」と、よく言われる。ロバートソンのプレイについても「ロックンロールが本筋だ」と語られることが多かったように思う。
しかし、これまで書いてきたようにザ・バンド=ロビー・ロバートソンと考える私の立場では、録音物で彼がつくりあげた「虚(フィクション)」こそ実であり、ライヴでの彼は外向きの「実としてのロックミュージシャンの姿」が虚だったと考えたい。
なぜなら、後者がロバートソンの実であるのならば、その発露としての1stアルバムや2ndアルバムがあのような内容になるはずがないからである。そして、そこにこそロバートソンが幻視したもの、物語りたかったものがサウンドとして表現されているはずだ。
ホークス時代までは確かに前者だったのだろう。それが後者に至る間に、彼は何かを見て、それを再現するために駆り立てられたのだ。
しかし、ザ・バンドの終焉に近くなればなるほど、虚実の差がうすまって、録音物においてもロック〜ポップス的なスタンスが大きくなっていく。だからこそ、ロバートソンはザ・バンドを解散させねばならなかったのだ。そして、虚だからこそ、きらびやかな「ラストワルツ」で自分のある時代を強引に締めくくるに至った。
バンド解散後、ロバートソンはスコセッシの映画の音楽監督を務める。音楽業界から付かず離れず、という距離感を保てたのではないだろうか。
例えば、1982年「キング・オブ・コメディ」に提供した『Between Trauns』は後期ザ・バンドを思わせる名曲だ。
また、ソロ前年の1986年に公開された「ハスラー2」のサントラは、メインテーマなどをギル・エバンスと共作する。そのサウンドはロバーソンのディスコグラフィ中でも異色だ。
残響のアメリカーナ
ロバートソンが表現においてザ・バンド以前以後を分けたのは、ウッドストック居住時代だった。そこで彼は唯一無二の「残響」を発見したはずた。あるいは、ウッドストックの静かな環境にゆっくりと腰を据えた(閉じ込められた)ため、これまで旅したカナダとアメリカ各地の景色を思い起こしながら物語を紡ぎ、サウンドを練り上げられたのかもしれない。
彼のギターの揺らぎの中には、ウッドストックの深い森があり、音が降り注ぐ教会の響きがあり、地下室のこもった響きがあり、荒野の見渡す限りの広がりがあった(時には
舞台を遠い過去に移すこともあった)。
つまり、彼の作る物語(歌詞と音からなる)の数だけ、彼の見た景色があり、景色の数だけ物語の舞台となる「空間」があったのだ。
彼はそうした「空間」を残響の中に表現した(空間系エフェクター というのは、実は的を射たというネーミングだ)。私はそれを勝手に「残響のアメリカーナ」と呼びたい。
そのルーツには『ランブル』のオリジネイターであるリンク・レイ(同名映画でも話題になったようにロバートソンとルーツを同じくする)やベンチャーズがいたのかもしれない。
しかし、サウンドを物語と組み合わせることで、ある種の舞台装置としたのはロバートソンが嚆矢なのだ。
先述のとおり、彼のシグネチャートリックと言えるピッキングハーモニクスも微細な残響を操る技だった。執拗に、激しく、繰り返されるピッキングハーモニクスは、彼の声なき声のようでもあった。
10年越しのファーストアルバムの意味
1987年にリリースされたロバートソンのファーストアルバムが困惑を呼んだことは想像に難くない。ザ・バンド=ブラウンアルバムと思っているファンからすれば、いきなり最先端の「時代の音」をまとって登場したからだ。評価の定まったいまでも、好き嫌いが分かれる作品かもしれない。
しかし、本作こそまさに、ロバートソンが作りたかった作品ではないかと思うのだ。「残響のアメリカーナ」というくくりに、これほど適した作品はない。
U2の「ヨシュア・ツリー」と同年、そして同じくダニエル・ラノワによるプロデュース作である。U2メンバーが録音に参加し、ダブリンのアダム・クレイトンの家で録音が行われるなど、単に同じ座組であるという以上に兄弟関係にあたる作品同士なのだ。両プロジェクトは同時に進められていたが、こちらの方が半年ほど後のリリースとなる。
ラノワが著書「ソウル・マイニング」でも書いているように、録音は難航し、最終的にはボブ・クリアマウンテンのミックスによって仕上げられた(そこら辺の舵取りが、実は時代をよく読むロバートソンらしい。そしてザ・バンドの『Live at the academy of music live』や『Stage Fright』のリミックスへと繋がっていく)。
ともあれ、ロバートソンとラノワの取り合わせは、これ以上なく好ましい。まさに私が思い描く「残響のアメリカーナ」に、ラノワの名前は欠かせないからだ。そして、ラノワのストーリーテラー的な側面はロバートソンと通じるし、残響コントロールを駆使した音作りもしかり。実際にラノワはロバートソンからの影響を公言している。
ザ・バンドの解散から10年。その年月のなかで録音機材やエレクトロニクスは大きな進歩を果たしており、ロバートソンが望むクリアで広大なサウンドステージを再現できるハードウェアの環境が整っていたことは、自身のアルバムを作る大きな動機だったのではないか。
さらにロバートソンからの直接的な影響を受けて自身の音楽をつくっている優秀なミュージシャン兼エンジニアが登場したことで、ロバートソンはソロ・キャリアへと踏み出すことができたのだろう。
だからこそ、ダニエル ・ラノワのミックスによる「ロビー・ロバートソン」が聴いてみたい。そこにはより完璧な「残響のアメリカーナ」が録音されているはずだ。彼らはともに、旅多き「アカディアン・ドリフトウッド」なのだから。
もちろん、その後ラノワが「オー・マーシー」や「タイム・アウト・オブ・マインド」でボブ・ディランの作品を手がけることも宿命であったはずだ。
残響のアメリカーナ、その後
1作目から4年のインターバルを経て、ポップな仕上がりとなった2作目「ストーリーヴィル」がリリースされたのが1991年のこと。
そして、その翌年、ビル・フリゼールのソロとして、またアメリカーナとしての金字塔「ハヴ・ア・リトル・フェイス」がリリースされた。これはある種の必然性をともなったタイミングであるようにも思う。
そもそもフリゼールのギターの演奏、サウンドともに、ロバートソンの影響を感じずにはいられない(直接的な言及を見たことはないが)。「ハヴ・ア・リトル・フェイス」は録音でしか聴くことができない残響に満ち満ちている。
ラノワとフリゼールはともに1951年生まれであり、フィールドは違えども音楽的な背景は近いものがあるだろう。フリゼールも思春期のどこかでザ・バンドの音楽と出会っているはずだ。
また、フリゼールの好みは『ランブル』のカバーを含む下記のアルバムで証明されている。
ここにザ・バンドの楽曲が収められいないのが不思議なくらいだ。
とにかく、「ハヴ・ア・リトル・フェイス」を聴くと、ロバートソンとラノワが焚き付けた残響のアメリカーナが時機を得て、フリゼールを通して噴出したと考えたくなる。
他方で、ロバートソンからジャズを逆照射するような楽曲も残している。「ハスラー2」だけでなく1994年の映画「ジミー・ハリウッド」のサントラでもギル・エヴァンスと共演しているのだが、その楽曲『Slo Burn』はまるでECMやノンサッチから出されてもおかしくない、ジャズ作品として聴くことができる。メロディもサウンドも素晴らしい名曲だ。
ある意味、このギターがビル・フリゼールであっても、ジュリアン・ラージであっても、何もおかしくないと感じるのは私だけだろうか。
サントラの企画で終わらせずに、この布陣でアルバムを作って欲しかった。それはもしかしたら、ジミー・ジュフリーのECM盤のような、幻想的で空間的な奥行きと高さとを備えたサウンドになったのではないだろうか。
そして、ザ・バンドで紡いだ抒情的な物語には、このスタイルがピタリとはまると感じていた。物語作家に憧れた音楽家としての、よりボーダーレスなロバートソン楽曲が聴いてみたかったと思わざるを得ない。その紐帯はやはり「残響」なのである。
祈るように弾き、歌うこと
よく声や音が響くように設計された教会の残響を「チャーチ・リヴァーブ」と呼ぶ。教会からスタジオへのコンバートはいくつも実例があるし(あのレオン・ラッセルも一時期所有していた)、欧米人にとって教会の響きは日常的であると同時に特別なものだ。
『ウェイト』や、より直接的な『クリスマス・マスト・ビー・トゥナイト』を例に出すまでもなく、ロバートソンの楽曲には聖書からの影響を強く感じる。聖俗を行き来するかのような登場人物も出てくる。
彼自身はおそらくクリスチャンで、自伝には教会で結婚式を挙げたことも書かれていた。
ロバートソンのギターは時に祈りのように聞こえることがある(『アンフェイスフル・サーバント』のソロなど)。音の消え際、余韻の儚さの表現力を突き詰めた結果、録音でしか辿り着けない「残響」にこだわったのかもしれない。あるいはリチャード・マニュエルの祈りのような歌に呼応する術だったのかもしれない。
だとすると、残響のアメリカーナは、ザ・バンドで、ウッドストックで生まれた、というところに戻ってくるのだ。
最後にロバートソンのソロ名曲『Shine your light』も貼っておく。光はキリスト教でとても大事なモチーフだ。サビの中で何度か繰り返される歌詞の一節に心奪われる。
これもまた映画のサントラの楽曲だ(2004年『炎のメモリアル』)。そしてロバートソンは逝って(gone)しまったのだ。
(了)