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アイスランドで遭難事件

今から5年前の9月にアイスランドへ車旅をした時に、猛吹雪の中車が立ち往生して動けなくなり、その時点でガソリンは半分。エンジン掛けっぱなしで持って1日。外は-10°の極寒。車中泊をした時の感じからすると着込んでいても車内は寒い。食料は3-4日分。水は雪を溶かすか。ペットボトルには数本。歩いて助けを求めるか。携帯は圏外。GPS電話を次は借りないとなと思うが虚しい。遭難したらジッとしろって言うけど、実際勇気と覚悟が必要だ。だって誰にも見つけてもらえる根拠がない。車の返却は5日後、つまりそれ以降まで行方不明だってことに誰一人気付かない。

必死にスタックしたタイヤを雪から掘り起こす。掻き出した側からどんどん降り積もる。4人で各タイヤを掘り起こす人手があれば、なんて思うが自分と車内には泣いている妻1人。タイヤに布を巻いたり、厚紙を噛ませたりして、妻にアクセルを吹かしてもらい車を押したり引いたり、何度やってもびくともせず、心が折れそうになる。
あー、どうしてこんなことになってしまったか。夫婦で遭難して、妻を自分のせいで死なしてしまうかもしれないなんて自分のバカさ加減に嫌気が差して、ダダさえ捏ねたくなってくる。まだ死んだ訳ではないけれど、自分のしでかした事に雷が落ちたようなショックが全身を駆け巡り、こんな時人間は自分で自分を責めるようなくだらない自分に対しての擁護や慰めをしている暇はなく文字通り必死で足掻くのが精一杯だった。
隣で泣きながら祈るように俯いている妻を見ると、本当にごめん、と思う。今助け出すからな、大丈夫、任せておけと最初は息巻いていたが、今ではなす術なく、雪が弱まったら歩いて助けを呼びに行こうと決意することしか出来ず、徐々に鼻息も心許なく弱くなってきた。ああ、手が冷たい。

アイスランドへの車旅は2回目だ。最初に味わったアドベンチャー感に味をしめ調子に乗ったのがこの結果をもたらしたのは間違いない。前回は滝のすぐそばを車で川渡りした。オーロラを何度も見た。吹雪の山奥でカメラを構え写真を撮った。真っ暗な夜道をひたすら車で駆け抜け、アイスランドを半周した。毎日違う温泉に入り冒険の疲れを癒し、これ以上ない程の旅だと思った。

全てが上手くいった初めてのアイスランド旅行。だからしくじった。こうして絶望的に遭難する前にも同じように川を車で渡り、吹雪の中行ける所まで行って危なかったら引き返せば良い。もう慣れたもんだからそれくらい判断付く。そうどこか慢心していた。圏外の携帯を見てデジタルデトックスだとか、中国人観光客に車での川の渡り方をアドバイスしてみたり、広大な土地でどうしても我慢出来ずに野糞をしてその開放感と、ウンコタギングで自分の証しを残したようなバカな観光客と同じような躁状態にと、兎に角浮かれていた。

雪と泥が混じってドロドロになった衣服と手の冷たさで、もうこれ以上自力で車を脱出させるのは無理だと諦め祈り始めてしまった自分に、遂には幻聴が聴こえてくる。何か英語かアイスランド語か、虚に聴こえてくる、何をしているんだと言う声。アイスランド語は分からないから恐らく英語だったのか、けれど英語ではないような、ぼんやりとした脳内に直接響く何をしているんだの声。ふと目線を上げるとサンタクロースみたいなおじさん。これは現実だ。間違いなく人が目の前にいる。けれど一体どこから?あたりを見渡すと戦車みたいなジープに複数の人が乗っている。レンジャーだ!助かった。見つかった。頼りになる。アイスランドの人は優しいってどこかで見たフレーズが頭をよぎる。

サンタクロースみたいな男性はとにかくとても怒っていて、こんなところで何をしているんだと言っているが、こちらも必死で、遭難したんだ、助けてくれと必死にお願いをする。ジープに乗ったままの数人は、高いところにいるせいか、こちらを見下ろして何をやってるんだ全く、と言う様に感じたが、実際こう言ったアホ観光客を哀れに思い、呆れているのはある程度事実であろう。軽装で富士登山をする外国人観光客が事故に遭った時のあの自業自得さと可哀想な感じだ。
サンタクロース男性さんは、助手席にいる妻を見つけ、尚のこと一層自分へ呆れた目線と小言を2つ3つ追加して、今助けてやるよと言ってくれた。

こうしてレンジャーの皆様に車を引っ張り出してもらい、ここからは自分で帰れと言われ、来た道を慎重に戻った。自分で帰れと言いながら、ずっと気に掛けてくれている感じだったが、あまりに慎重にゆっくり走るのでもう大丈夫だろうと思ったのだろう、必死の追走虚しく戦車ジープは次第に吹雪の中へと見えなくなっていった。
ここでまたスタックしたらどうしようと不安になったが、低速ギヤでゆっくり慎重に、ハンドルも最小限に操作し難なくを得た。途中来る時にも越えてきた川を渡ったが、このくらいの川は以前の滝の横の川に比べてなんてことはないと言っていた自分が思い出したく無いくらい恥ずかしかった。妻は相変わらず隣で無言だった。

しばらく無言のまま黙々と車を走らせ、徐々に晴れてきた空に柔らかく光る太陽と、遠くに見える大きな国道を見つけた時、心にポッと暖かさが戻って、今自分たちは救われたのだと実感した。携帯を見ると電波も戻っていたので、地図アプリを見ながら今日はどこの温泉にしようかと妻に話し掛け、ようやっと重い空気が少し軽くなった。


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