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【分量】村上春樹の中編小説は、損をしている?

『スプートニクの恋人』
『国境の南 太陽の西』
『アフターダーク』

言わずとしれた
村上春樹の中長編小説です。
こうした作品は、
もしかしたら、
2巻、3巻に及ぶ長編や
また、短編に比べて
損をしているんじゃないか?
と、なんだか可哀想になる時がある。

長編なら、かなりきちんと
村上春樹の言いたいことは
書き尽くされています。
だから、その作品の世界観も
読者にはきちんと伝わりやすい。

一方、短編は短編で、
唐突なラストや奇妙な冒頭などから
読者を振り回したり、
呆然とさせたり、
村上短編独特の世界が炸裂しています。
私たち春樹ファンは
春樹短編の持ち味を
マゾヒスティックに楽しめますね(笑)。

ところが、です。
それらに比べて、
中編は長編に比べて世界観が
あまり書かれていないため、
世界観を読者は捉えにくい。 
もどかしい読後感がします。

また一方で
中編は、短編よりは
世界観がそれなりに築かれているぶん、
あの短編独特の、
読者を不思議な世界に
振り回してくれるチカラが
あまり感じにくい気がします。

『帯にみじかし、タスキに長し』
とは昔の言葉ですが、
中編は長編には短し、
短編には長し、とでも
言いましょうか。
マンマ!ですね。

『スプートニクの恋人』や
『国境の南 太陽の西』の
独特のリズムや曖昧模糊さ、
シュールさが好きですね。

微妙な長さゆえに愛読者が
少ないのならば、
それはちょっと、いえかなり可哀想。
というか、不公平すら感じます。

気にし過ぎかな?(笑)

そういう作品は
「評価が定まるまでに時間がかかる」
春樹自身『スプートニクの恋人』に
関するインタビューで、
そんな話をしていました。

中編はどうも不利なようですね。 

でも、芥川賞作品って、
たいてい、中編ですよね。 
芥川賞を目指して小説を書いている
若き挑戦者は、
中編は芥川賞をとれれば別ですが、 
そうでなければ、
評価されにくいとされてしまう 
リスクがあることは 
自覚しておく必要はありますね。

でも、書きたい長さって、
小説だろうと、
論考エッセイだろうと、 
人間ひとりひとりが持っている
体感的なリズムによって
決まっているように思うんです。

私のnoteは短かくて、
読み応えが弱いと言われることも
ありますが、
まあ、文章は見れば見るほど、   
短くしてしまいます。

これは太宰治か小林秀雄が
書いていましたが、
小説であれ、評論であれ、
極めに極めたら、それは
1行になるのでは、ないか?と。

まあ、極端な話ですが。
理想的な美文は、1行になる!

ならば、私のnoteの記事は
ずいぶん長いほうですね(笑)。

まあ、私は長い記事なんて、
たとえ、note主催会社から 
「書きなさい」と指示されても、 
書けませんね。

だから、長い記事を書いておられる
方には、リスペクトしています。

でも、無闇に長い文を書いた時は、
こことここは削れるぞとか、
つい、昔、編集者だった時代の
悪いクセが出てしまう。

長い短いは、
テーマ次第でしょうかね?

 

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