【役に立つ】人の役に立ちたい気持ちは、一歩間違えたら、優生思想?
人の役に立ちたい。
社会に必要とされたい。
仕事ができる人と思われたい。
これは誰もが持っている
現代社会の「エンジン」というか、
最大のイデオロギーですが、
時にはいきすぎて
恐ろしい「優生思想」に
なってしまいますね。
「役に立たない?」と
勘違いされやすい
ホームレスや障がい者の
命の問題が侵される度、
優生思想がまな板に乗せられます。
「役に立つ」という事柄から
私たちはがんじがらめに
なっていやしませんかねえ?
もう少し、
使えない奴になる開き直り?
できない奴になる勇気を?
持ってもいいのかもしれない(笑)。
それは私には
少なくとも今の私には
到底できそうもないですが。汗。
でも、役に立つといっても
役もまたバリエーションが
あるんですよね。
常に上機嫌に会社で
新聞を広げてるおじさん。
ニコニコといつも
挨拶だけは見事な陽キャおじさん。
こうした人は、
役に立ってないからダメ?
でしょうか?
みんなで、成果を出すため、
もくもくと働き続けるのは、
ノーマル?アブノーマル?
やはり一円二円には
ならなくても、
明るい人、上機嫌な人って
大切な気がするんです。
お金にはならなくても。
そうして、遠回りして
結局は健康のためになって、
最終的には健康が長続きしてくれ、
大きな財産となって、
自分や周りの人のために
なるんですよねえ?
パッと見では
本当に役に立つのかは、
簡単に決められはしないのでしょう。
こんな話、ビジネス書や自己啓発書で
頭がいっぱいになってる方には
たぶん、全く駄文にしか
見えないでしょうけれど。
「できる人になりたい」
「誰より成果をあげたい」
「会社に貢献したい」
といった発想には、
私はあまり賛同はできません。
私たちはなまじっか、
目が見えるから自分の視界を信じ、
耳が聞こえるから聞こえる話を
信じ過ぎてしまいます。
でも、目に見えやすい成果や貢献は
移ろいやすく、
あとあと、あんな成果は
実は要らなかったなあ、
となることを何度も何度も
味わったり見てきたりしました。
目や言葉にはすぐにはならない
「何か」が人生にはたくさんあって、
なかなか探しにくいんですよね。
余白や気配やユーモアなどが
それらに当たるでしょうか。
そちら側のことが
人生には存在することは
気配として、感じられたら
いいですね。