私らしくない私も、やっぱり私
人生はずっと、本来の私らしい自分の時間…?
「あの時の私は本当の私じゃない…
今の私こそが、本当の私…」?
昔は、こうした、
古くて間違ってた自分から
「脱皮」して、今の私になったような
錯覚でいっぱいでした。
ところで。
そもそも、私じゃない自分、
私らしくない自分を生きる…!?
人生において、そんな事って
あり得るんでしょうか。
親や周りの大人や仲間ら、
誰かの命令や洗脳で、
偽の人生を生きてしまう時期も、
時にはあるかもしれない。
たとえば、親のしつけ(趣味?)で
名門校に通わされたとして、
自分なりに我慢して、
求められた「できる子」を
現実で「演じ」られたなら、
それもまた、たぶん本当の自分では?
いい子供を「演じる」ことが「できた」
ことも私の一部では…。
「本当の自分らしさ」を
大切にしましょう、なんて
あたかも、それまでの自分は
本来の自分ではない!
みたいなフレーズは、
正直、なんだか違和感…(笑)。
我慢して、無理して、
世間や家族の目を気にし、
いい人を演じ、
途中で世間や家族の価値観から
解放されていく、
そこまで含めた全部がセットで
「本当の私」ではないかしら?
我慢した時期によって、
少なくとも、忍耐力や適応力は
ついたとも言える訳で。
生きてきた「現実」は、
みんな、本当の私の人生。
「苦しい現状」→「気付き」→
「発展」→「本当の幸福」という
ラインで捉えるのは…
辻褄合わせかな?
人生はずっとずっと
自分が生きた、私の時間なのですから。