【語尾】だわ、てよ、かしら、女言葉ってなんなのかしら?
語尾の「…かしら」は、
女言葉と言われるものらしい。
「ですってよ」の「…てよ」も、
やはり女言葉らしいです。
今まで、私は何度もnoteの記事上で
私自身、語尾に「…かしら」を
使ってきました。
冴えない53歳のおっさんであるにも
かかわらず、です。
最近出た、河出書房新書の
『女言葉ってなんなのかしら?』は
実に面白い本でした。
著者は翻訳家の平野卿子さん。
私は昔から
語尾に「…かしら」をよく付けます。
もしかしたら、
太宰治が女性になり切って一人称で語る
女の人のモノローグ作品が好き過ぎて
区別もつかなくなっていたのかしら?
あ、また使った。(笑)。
でも、私が最初に入った出版社でも
副編集長の上司が、
会話でも、仕事でも
「…かしら」をつけてました。
その後、30代手前で出会った、
漫画編集者の上司も、
会話中も「かしら」を使ってました。
うーむ。
「かしら」は女言葉だと言われるけど
男が使って悪い訳ではないですよね。
「だわ」という語尾は
さすがに使わないけれど、
「かしら」は違和感なく使えるし、
使いたくなるんです。
言葉として美しいから。
ニュアンスとして柔らかいから。
ちなみに、今考えてみるに、
私や、私が出会ってきた漫画編集者で
「かしら」をよく使っていた2人は
ずっと女性向け漫画を作る仕事に就き、
しかも、普段から女性に
囲まれていたことは、
なんらかの要因かもしれない。
さて、女言葉では、もうひとつ
印象深い体験があります。
ある女性作家とのやり取りを
ツイッターで再現しようとして
私は、女性作家の語尾に
「…だわ」をつけて投稿しました。
私(おっさん編集者)と
区別をはっきりつけるために。
でも、それがいかに軽率だったか、
お読みの方々ならもう
お分かりですよね。
本当に軽率過ぎました。
女性、特にフェミニズムに
意識的な女性は、
語尾に「だわ」や「かしら」
「ってよ」などの女言葉は使いません。
というか、忌避しているものです。
嫌いだったりもします。
女言葉の「だわ」は、日常会話では
実際、女性も本当のところ
使ってるかどうか怪しいものです。
この女言葉のルーツが何なのか、
調べるのは大変ですが、
近代文学の作品には
頻出しているのは確かです。
夏目漱石、島崎藤村、志賀直哉、
谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、、、、。
女性「らしさ」を敢えて出すために
意図的に培養されてきた言葉たちです。
しかし、何をもって、
女性らしさとするのか、
今まさに議論してきてる
現代女性には、小憎たらしい
言葉でしかないでしょう。
私は、ツイッターで「だわ」を
語尾につけてしまった作家から
きっちりお叱りを受けました。
もう10年前のお話ですが、
大失敗に変わりはありません。
それまで私は、
女言葉については、
全くの無知、無関心でした。
お恥ずかしい話…。
普段は、女性の味方?的なベクトルで
生きているつもりですが、
それこそ、私みたいな人間は、
にせフェミニストというのですね。
(汗)。
では、最後に、なぜ
私は時々、語尾に「かしら」を使うのか
使いたくなるのか?考えたい。
断定的な言い方は避けたく、
柔らかいニュアンスを香らせて
やや強めな推測表現をしたい時、
他では意外と見当たらないんです、
使いたい語尾が。
それで「かしら」を付けることに。
さて。
「女言葉」だからといって、
男性が使っちゃいけないなんて
決まりはないですよね。
まあ、若干、使いながら、
毎回、少し違和感を抱いてましたが。
語尾は、思っている以上に
デリケートで重要なんですね。
それだけはよくわかりました。
ここまで読んで下さった
女性の方々に、不快な思いを
させていなければいいのですが。