【自分の価値】人は、役に立たない人間になる恐怖が一番恐い?
この世で最も恐ろしいのは、自分の心だ。
それも、絶えず上を目指してしまう
歪んだ向上心という心が?
10月から人生初の人事異動で
新しい部署に来ました。
パソコンが大の苦手で、
集団行動も苦手な私には
半分、拷問かとも感じる1ヶ月を過ごした。
まだ作業はほとんどがチンプンカンプン。
私は50歳の中古だけどまっさらな新人として、
丁稚だと思って、まず電話番に勤しみ、
誰かの作業のお手伝いをしよう、
そう考えていたのだけれど、
ママならないのが自分の心。
できない!使えない!と
思われたくない一心で、
自分にアドバンテージが何かないか、
これまでの経験から必死になって
考えてしまっていました。
自分は「使えない奴」でないことを
自他共に証明したくて、
新しい部署を必死に見渡して、
上司や同僚の仕事を俯瞰しようとする。
それも初日から。汗。ナニサマでした(笑)。
新しい部署でみんなから
「こいつ使えないな!」って
思われることの、何がそんなに
恐ろしいのだろう?
何に怯えていたのだろう?
無用な人間だ、ムダな人間だ、
そう切り捨てられはしまいか?
と必死だったのか。
出来る奴だ、役に立つ人だ、
有用な人間だ、存在価値が高い、
そう他人から思われたかった、
無意識の底から。
これは向上心の根源にある
強迫観念かもしれませんね?
なんて愚かなんだろう?
人間は生きるだけで充分なんだよ、と
自分で自分の背中を撫でてやればいい…
はずなのに。
一番大事なのは、
今生きてることに自信をもつこと。
自分を尊重してやること!
もう51歳になろうというのに、
まだまだ、思春期レベルの
悩みで七転八倒してる(笑)。
人並みでもいい。
いや、人並み以下でもいい。
いや、他人と比べても意味がない。
宮沢賢治は「雨ニモ負ケズ」の詩で、
デクノボウと呼ばれても
気にしない人になりたい、と
書いてありますね。
あれほど町のため、
農業のため、芸術のため、
誰よりも尽力した宮沢賢治でさえ、
自分の行為を認められたり、誉められたい
気持ちをゼロにはできなかった…ということか。
役に立ちたがる心をゼロにすることは…難しい。