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【生誕100年】田中小実昌VS三島由紀夫
コミさんこと田中小実昌さんが
生誕100年らしく、
新しい文庫が発売された。
同じ生誕100年になる三島由紀夫と
田中小実昌さんでは、
まるで作風も作家自身のキャラも
正反対なくらいちがう。
田中小実昌は
戦後作家として、
戦後すぐの混乱期や
戦争自体をテーマに書いた。
書いたというか、
語りの名手だったから
語ったといいたいくらい。
戦争から復員してきたら
占領軍の中で働いたり、
はたまた、ストリップ小屋で
構成作家みたいな仕事をしたり、
裏方の仕事をしていた。
また、ミステリーを翻訳したり、
バーテンをしていたこともある。
香具師(やし)をしていたこともある。
(香具師って、ひと言で言うと
『男はつらいよ』の寅さんの仕事ですね)
まあ、なんでもしていた人なんですね。
ということは、戦後、特に占領軍時代、
コミさんはあまり裕福では
なかったのでしょうか。
そうした経済的な側面が
すでに三島由紀夫とは正反対だ。
三島由紀夫が、闇市時代に、
ストリップ小屋で裏方の仕事を
していたら、
日本文学史は大きく変わっていたに
ちがいないでしょうね。
コミさんこと、田中小実昌が
直木賞をとった作品『ミミのこと』は
鮮烈な書き出しから始まる。
「店にかけこんできた女は、ぼくの
うしろを通るとき、ちょっと肩に
手をかけて乳房のさきで背中をおし、
カウンターのはしに腰をおろすと、
奥のベニヤ板の壁のほうをむき、
サングラスをかけた。」
このミミは、パンパン(娼婦)で、
耳が聞こえない。
田中小実昌自身、
いつも安い場末のような酒場にいて
酔っぱらっていたような人だから、
きっとこの店というのも、
読む時はゴールデン街の狭い飲み屋さんを
思い浮かべながら読んで行く。
そんな狭い店にいて、
誰か女性がトイレに行くときは、
お客さんの後ろを歩いていく。
ふとその人の胸が
カウンターに座る男たちの背中に
あたることもある。
そんな一瞬の感触は、
男性にはちょっとドキドキする
あるある体験だけど、
こんな風にさり気なく書くことは
案外に難しい。
それをさり気なく書いちゃうのが
田中小実昌の上手さです。
私も、もしも魔法によって
三島由紀夫になれるか?
田中小実昌になれるか?と
言われたら、かなり迷いますね。
三島由紀夫の作品はどれも完璧だ。
でも、頭デッカチなことは否めない。
田中小実昌は作品は素晴らしい。
しかも人生いつも、その時その時を
しのいだり、やり過ごしながら
生き続けてきた人生の達人だ。
そんな人生はさぞや大変でしょう。
どちらも無理だなあというのが、
愚かな私の見解です(笑)。
だから、私は作家にはなれない(汗)。
田中小実昌さんには
路上バスものエッセイがたくさんある。
路上バスのテレビ番組を、
はるか数十年も前から、
先取りしていたんですね。
それから、
田中小実昌さんは
お父さんが熱心な牧師さんでした。
その影響がつねに小実昌さんの
作品の底流にある(気がします)。
戦争を描き、
戦後すぐの混乱時代を描いた
田中小実昌は、
晩年はまるで余生を生きるかのように
バス旅行をしてエッセイを書いたり、
映画を観てはエッセイにしたり、、、
昭和を着実に生きた作家でした。
三島由紀夫よりも遥かに
至近距離で昭和と戦っていた作家だ。
どちらが凄いとか、カッコいいとか
そんな話ではないけれど。