【星野道夫】無垢な魂は存在できるのか?
星野道夫さんとの出会い。
その時は、誰もが新鮮な衝撃を
受けるのではないでしょうか?
なんという魂の無垢な人の
文章なんだろう?という圧倒感。
アラスカの大地や大自然、
先住民や動物や空を、
夢中で追いかけた写真家、文章家。
今どき滅多にいない
穢れなき美しい言葉を操った。
星野道夫の文章も、写真も、
余りにも無垢な印象で、
気づいたら引き込まれている。
私などはもうすぐ40に手が
届きそうな歳に出会い、
あんな無垢な星野さんの文章に
我ながらよく反応できたなあと
驚きですらありました。
星野道夫の魅力は、
何でしょうね?
なんでこんなに惹きつけられるのか?
それは唯一性なのかもしれない。
人は人生を生きる中で、
たいてい、徐々に純粋さを失い、
賢く、要領よく生きるようになる。
少しずつ器用になる。
魂などは宿っているとは思えない、
うす汚れた人になる。
ところが、
星野道夫は、あまりに
清純な無垢さを宿したまま、
器用になることもなく、
無垢なる魂を抱き続けた人だ。
汚れなかったんだ。
そんなことが可能かどうか
分からないけれど、
星野道夫を読むと、
彼がこの世に存在してたことが
確かにわかる。
無垢の存在は可能だったのだ。
星野道夫が、あの昭和後期と
平成という世俗的な時代を
生きてたなんて考えられない。
それはまるで奇跡だと思う。
もう、星野道夫のような
無垢な魂の持ち主は、
新たに登場することもないでしょう。
星野道夫はやはり奇跡だったのだ。
幸いなのは、
いつでも彼の文章や写真を見て、
その奇跡を、私たち凡人にも
見つけられることだ。
でも、こうして星野道夫について
考えても、分かった気になっては
いけないと思う。
星野道夫は「人生は旅の途上だ」と
しばしば書いたけれど、
星野道夫を読むことは、
星野道夫を理解する
途上に過ぎないかもしれないから。