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【原作】作品を変えることが必要な時は?

今、テレビやネットのジャーナリズムを
鵜呑みにはできないし、
鵜呑みにしてはならないですが、
『セクシー田中さん』の
原作マンガ家とテレビ制作サイドでは
ひどい乖離があったようですね。
芦原先生のご冥福を祈るばかりです。

ところで、
マンガ、小説、シナリオには、
それを書いた人がいます。
これは必ずいます。
 
誰かが書いた本や絵を、
中身を変えたカタチで
利用させて欲しい場合、
いや、変えずに転載する場合でも、
やはり、許可が必要です。

今、私は呑気な社史編さん室で
呑気に編さんしていますが、
たまにマンガ制作部に
顔を出して痛感するのは、
許可、許可、確認、、、と、
編集者はしつように
許諾とりが重要なことです。

マンガ家が書いたものを使って
ユーチューブを作るにしても
編集はマンガ家に観てもらって
先生の意図からハミ出してないか
確認が必要になります。

題字を使うなら、
タイトルロゴを作ったデザイナーに
動画をみせて許可をもらいます。

私が知る範囲では、
ある人気マンガの映像化の時、
脚本家がシナリオにし、
編集担当やマンガ家に
見せに来るのですが、
毎回、あまりに出来がひどかったそう。

マンガ家の世界観を理解していない、
人物の心模様を理解していない、
そんなシナリオが続いたらしい。
これはおそらく、
実写化で出演する俳優やタレントに
言わせたい台詞アリキ、で
書かれていたり、
ネットでバズらせたくて
書かれていたり、
原作マンガへのリスペクトが
そもそも、あまりないことが
陰に陽に、バレバレに。
これでは、原作マンガ家や編集担当は
悲しくなるばかりです。
そんな、リスペクトがないのか、
作家の名前だけは欲しいのか、
それとも単純に、
マンガ家を舐めてかかってるのか?

だったら、
最初からそのマンガを 
映像化しなければいいのに、
と、マンガ家サイドは、
怒りと哀しみと悔しさでいっぱいに。

私が聞いたケースでは、
何度も、やり直しが重ねられた後、 
マンガ編集担当者が
いちから映像シナリオを
書き直したそうです。
もちろん、何日も徹夜して、
もちろん、無料で。
実話です。

ちょっと話がそれますが、
マンガになるには、
まず、ネームという段階があります。
下絵の前、
プロットより先、
つまり、プロットをコマ割りした
ラフデッサンみたいなものを
ネームと呼ぶんですが、
これを見せられて、
編集担当は
何点か直して欲しいところが
あるとします。

でも、それを全部直して欲しいと
いえば、マンガ家さんは
ガッカリ、というか、
グッサリと来て、
やる気がダダ落ちします。
あるいは、怒りから
感情的になるかもしれません。

1つ、直してもらうには、
4つ、まずは褒めてからにしてました。

4つ褒めて、
マンガ家さんを喜ばせてから、
いや、それは
リップサービスではなく、
日ごろから思っている
リスペクトしている点で、
4つ褒めてから、
1つ直して欲しいポイントを
お願いします。

少なくとも、
先に直して欲しいポイントを
いうことはありません。

まずリスペクトを
しっかり言葉にしてから、
さらにその作品がよくなるため
ひとつを直してみてはいかがか?
提案する、、、、。

もし5つ直して欲しいなら、
20から25個、
いかにそれらがうまく
書かれているか、
言葉にするくるいの気持ちが必要です。

他人が書いたもの、
他人がクリエイトしたものを
変えたり、直すには、
お願いする側も
それくらい真剣であるべきでしょう。
視聴率のためであろうと、
再生回数のためであろうと、
最初に書いた人に対して
どれだけこころを、言葉を、
尽くしていかねばならないか?

最近、ネットでは
再生回数や視聴率が余りに過剰に
優先されているようで、
怖い時があります。

最初に書いた小説家やマンガ家、
イラストレーターやシナリオ家たちが
どんな思いで、それを
クリエイトしたのか?
陳腐な結論ではありますが、
原作への愛情が不可欠、 
というか、
無断で勝手に中身を変えられたら、
どんなに悲しいか?
阿呆らしいか?
悔しいか?
チラっと考える気持ちがあれば、
また、もう少しまっとうな道が
見つかるかもしれません。

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