見出し画像

【生誕90年】寺山修司とは一体何者だったのか?

寺山修司は来年で生誕90年らしい。

永遠の青春詩人なのか。
青春を謳う老練作家か。
あらゆるステレオタイプを
破り続けた反逆作家。

少なくとも、生誕を祝われることには
苦笑いするタイプの作家だろう。

私も昭和時代の文学青年なみに
20歳の頃は寺山修司に夢中だった。
自分の世界観をひっくり返せる
教師を見つけたと信じきってた。

さて、数カ月前から、
世田谷区文学館で
寺山修司展示会が開催されている。

彼の自伝『誰か故郷を想わざる』や
『書を捨てよ、町に出よう』
『家出のすすめ』で
寺山はたびたび、親子関係や
少年時代の話を書いているものの、
それらのほとんどが虚飾だと知った時
激しいショックと衝撃を受けた。

寺山修司はみずからを
虚飾にまみれさせた、
胡散臭い?人物だとも言える。
良く言えば、言葉の魔術師だ。

でも、何が現実か?何がウソか?
なんていう事は、
寺山にとってはどうでもいい。
重要なことではないのです。
うぶな読者は振り回される。
老練な読者のみが寺山の真に読者になれる。

ヤクザになろうとか、 
家出をしなさいとか、
他人の母親とやりなさいとか、
とにかく保守的な世間常識を
打ち破るメッセージ性が強かった。

だから、今は、寺山修司を読む際、
少し距離をとってしまう。
警戒してしまう。
私がつまらないコンサバな人間に
なってしまったからか、、、。

彼の書いたものは、
あの学生時代の奇妙なパワーと
反逆性がたっぷり込められている。

寺山はその繊細さと反逆さゆえ、
より一層、青春を象徴するペテン師と
成り得ている訳です。

彼ほど青春に永遠にこだわった人は
いないにちがいない。

ただ、だからだろうか、
寺山はうかつに読み進めては危ない。
十分に気をつけねばならない、
そんな警戒心が湧く。

寺山修司はうかつに見過ごせない。
鵜呑みにしていた自分が羨ましい。

いいなと思ったら応援しよう!