自己紹介ってなんだ…?
はじめまして。
ご興味を持っていただき、ありがとうございます。
読んでくれた方に安らぎを届けたい、そんな思いで投稿をはじめます。
これから書いていきたいことは、まだ若い私の思いです。
私を通して体験してきたこの世界を、私の言葉でフラットにお伝えできるように努めます。誰かの人生をのぞき見る気持ちで、どうぞ読んでみて下さい。
次の投稿では、noteをはじめたきっかけをお話ししたいと思います。
お世話になっているカウンセラーさんとカフェで話したことです。
そんな私はどんな人物なのか、少しでもご紹介した方が良いでしょうね。
とは言っても何をお教えしようか、つい真剣に考えてしまいます。
ニートの21歳男、世間が私を見てそう呼ぶことはよく知っています。そしてこの肩書きは、私のことを素直に伝えるには余りにお粗末でしょう。職業・年齢・性別を並べただけで、人について詳しくなれないことは誰でも知っています。だから人のことを知るのは面倒を要するのであり、見た目や肩書きのようなもので人を知ったように"あるある"と無垢に笑うことが出来るのは、自分自身あるいは他者とその肩書きとの乖離に一時でも悩んだことのない叱られたことのない人なのだろうと胸中お察しするわけです。そういうもので仕方がないからです。
男のくせして成人ニートの怠け者だと後ろ指をさされるのが酷く恐ろしいものですから、言葉を多くしてしまいました。肩書きから勘違いしやすい人に私は大変怯えているのです。自分でも馬鹿げていると思います。
きっとニートになりたい人もいるでしょう。私はニートを軽蔑していました。どうして働かないんだ、どうして学校も行かずに家でのさばるんだ、この愚かな社会のゴミが、お前たちのようには絶対ならない。ネットの悪しき面や生徒間コミュニティから学んで、そう考える子供になっていました。
ちなみに、通学・通勤して勉強・労働することが唯一の善だと教えられたことはありません。学力評価と仲間穏和の狭小な学校社会で、低得点が残念がられ、宿題未提出者一覧を黒板に晒され、従順でないと教師からあらゆる暴力に曝されます。全国の圧倒的多数の同世代がそうしているように中学へ行き、体育中に苦手な運動の手を抜くと、もう学校に来なくていいと怒鳴られました。そうした被懲罰体験や大人観察から悟ることは、どんな自分でも愛していいし自分の気持ちに応えていいし自分だけの自己決定権を持ってていい環境にどうやら自分は居ないようだ、ということです。そうした学びは同級生の仲間にも共有されていて、自分たちがそうされたように、落ちぶれの仲間を簡単に嘲ることが出来てしまいました。だからこそ、自分がニートになることなどは頭が裂けても嫌だったわけです。
案の定、私が通っていた高等専門学校から退く際に、快く私の背中を見ない友人から挑発的なお別れを受けました。Twitterでは学校の人たちと繋がっていたので、私はすぐさま全員をブロック&解除して自分から全ての交友関係を一方的に絶ちました。中退する私などは内心から皆に認められない恥ずかしい存在なのだと、しばらく立ち直れなくなる挫折を味わいます。
今ではこの中退を後悔していないことはお伝えしておきたいと思います。あと挑発的な友人のせいで挫折したのではありませんが、その喝は中退者に引け目を感じさせる社会環境を映していると感じたのでご紹介しました。
現在ニートであることは今振り返ると私の大きな帰着点のように感じられるので、自己紹介では触れておこうとした次第です。その人の基本的なものの考え方や対人態度、生への志などは境遇や経験によって大きく影響されますから、どういう批評性を以てこいつの書く文を指でなぞってやろうかを考えるヒントを提供するためにも、自分のおかれたニートという境遇を私がどう受けとめているかお伝えすることはきっとそれが自己紹介になるのだろうと思ったのです。
今回はひとまずこれで、以上です。ありがとうございました。